呟きもしなかった事たちへ_No.35(2022年5月号)
※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら。索引もあります。
上半身の筋トレも強化した結果、肩こりがなくなったが、筋肉痛が来るようになった。痛みから別の痛みへ、パラダイムシフト。
今月も、呟きもしなかった事たちへ。
染みわたる
トロピカーナのマルチビタミンという飲料をご存じだろうか。トロピカーナが作っているが、果汁が16%しかなく、ビタミンだけでなくクエン酸なども足していて、まぁともかくケミカルな味と匂いがする、ジュースではない「何らかの飲料」だ。平時に飲むとそのケミカルっぽさ、ビタミン特有の匂いに驚くばかりだが、二日酔いの時に飲むと妙においしく感じる。体が正直というか、必要なモノが美味しく感じるのだろう。染みわたるというヤツだ。
ポカリなども普段は甘すぎるように思うが、体調が悪い時は妙にうまい。先日ワクチンの副反応が出た日も、熱が出るより先にポカリが美味しくなって発熱を予知できたし、熱が下がるより先に味が普通になったのでもう熱が下がるなと予知できた。味は体に必要な事を教えてくれる。
普段酒を美味しい美味しいと思っている事に関して、こうしたものが適用されるかは知らない。
レベリング
Vampire Survivorsをはじめ、死神チャレンジをすることとなった。30分生き残る事が目的のゲームなのに、「30分終了後に出てくる死神との対峙からが本番」なので、当然のようにゲームを操作せず30分放置する事になる。
ゲームは動いていても操作をしないとPCがスリープモードになるので、スリープにならないようにYoutubeで動画を再生し、やる事が無いので「メギドをしながら筋トレ」をする事になる。そもそものメギドもただの周回だし、筋トレもメンテナンスでしかなくて、別段やりがいや成長があるわけではない。実体のないものが重なっていくマルチタスク、その先に何もないレベリング。別に実体があるとか、集中しているとか、結果成長するとか、そういうものがが世の中や人生をよくするわけではないのだけれど。
※その後、死神チャレンジは無事終わった。
ダメージジーンズ
ダメージジーンズ、と言ってもビンテージの一部スレて色が薄い程度のタイプではなく、ガビガビ穴が開いている方のダメージジーンズ、気が付いたらいつの間にかまた流行っているな。
20年位前に流行っていて、学生時代の自分も一本持っていた。陰キャを自称する友人にみっともないと言われた記憶があるが、まぁ2~3年ちゃんと履き続けた。親は洗濯が大変だったと思う。その後しばらくして世の中からも廃れたイメージがあって、自分のジーンズも穴が広がり履きにくくなって捨てた。
久々にまた流行っているなと最近の若い子を見て気づいた。だが、帰ってきたダメージジーンズは、20年前の流行りの時よりダメージがデカくなっていて、ひざ下とひざ上がひざの裏だけでかろうじてつながっているようなものもたまに見かける。この調子で行くと、次のブームでダメージジーンズは己の姿を保てなくなると思う。
カジュアル
カジュアルという単語を聞くたびに、カジュエルと脳内によぎる。ガズアル・ガズエルのせいである。
言葉を尽くす
啓蒙思想2.0を読んだ。乱暴に言うと、僕も書いていた事だった。「ファスト・ポリティクスをやめろ。」は、「インターネットやめろ」だ。
ただもちろん、「インターネットやめろ」は、そのミームも含めて文脈に依存しすぎているし、僕のキャラに依存しすぎている。伝わらない事が多い。学者たちは、ちゃんと言葉を尽くして、真面目に読んだ人には文脈に関わらず伝わるように書いているという当たり前のことに感心する。ニック・ランドの「絶滅への渇望」も無駄に丁寧に書いていて偉かった。最近、こうした丁寧さを「わぁこだわってるー、無限にしゃべるじゃん」と、飲み屋でクダまいてるオッサンを見る目で楽しんでいるが、本来はこうした丁寧さには敬意を払うべきだろう。
でも僕の文章の方が(僕のNote読むような人なら)話が早いと思う。
結露
水筒、蓋の結露は何とかならないのか。開けるたびにポタる。多分いい水筒でこういうの対応しているのがあるんだろう。だから買えばいい話だが、案外そういうレビューを見ないし、多分今のより高いんだろうなという感覚がある。
一方で、会社にしか持っていかない水筒にお金をかける気にもならない。結局会社の机にはコーヒーを飲むたびに結露が落ち、ハンカチで吹くルーティンが出来上がる。会社が嫌になる。
違う、これはいい水筒を探しているのではなくて、会社が嫌になる理由を探してるだけだ。
砥石
日々の料理に加えて秘密基地のキッチンなんぞやっているし、包丁は割と頻繁に手入れをしている。手入れした後に玉ねぎを千切りにしたりすると、その切れ味が楽しい。
思い返すと、大学時代に付き合っていた女性の家には砥石がなかった。そもそも料理に関して僕の方が上手かったから僕が作っていた訳で、そういう家に砥石も無いのは道理というものだ。ともあれ、砥石があればもう少し楽しかったかもしれない。持っていけばよかったのだが、大学に砥石持っていくのも嫌なものだ(重いし)。携帯砥石も当時からあっただろうが、何だろう、あれもアウトドア用で人の家で使うものでもない気がする。何より、他人の家に砥石を持っていくのも何だか失礼な感じもする。
そうして、切れ味の悪い包丁でご飯を作っていた。砥石があれば、もう少し腕は立ったはずだよ、と大学時代の自分を擁護する。
マヨネーズ
マヨネーズのこと、分かってあげられてないな、と思う。嫌いなわけではないが、いる理由が分からない時がある。唐揚げとか、塩気も油分もコクもこれ以上足す必要があるのか…?というのが正直な感想だが、まぁつけて不味くなる訳でもないし、好きな人がいる分にはいいんだろうな、分かってあげられてないな…という事だ。
でもこれを「社内で一部層に人気もあるし、会議いるからって出て行けとは思わないが、個人的には特に居なくても困らないアイツ」とか言うと、相当嫌っている風に聞こえるだろうし、実際嫁に「それは嫌いなんじゃない?」と言われた。
いや嫌いじゃないんですよ。
ギザ十
ふと気がつくと財布の中にギザ十があった。十円を使うときもギザじゃない十円で済ますなどして、何となく使わずにいた。人に何か払うときに「あ、ギザ十いる?」等とコミュニケーションが取れるし、なんか面白い。昔は訳も無く後生大事にして引き出しに入れたりしてたが、こうして財布に入れている方がどうでもいい事でゲーム感覚があっていいな、などと遊んでいた。
そしたらふと気がつくと財布の中にギザ十が2枚あった。いつの間にかお釣りで貰っていたらしい。「使わない」というゲームが難しくなる。とは言え別に後生大事にしたい訳ではない。とっとと使いたいのだが、何かが後ろ髪を引く。
↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。