呟きもしなかった事たちへ_No.33(2022年3月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

パストラミビーフサンドって、「ビーフ以外入れません!」って感じある。他のもの入れても旨くならんのか?仲良くやれよ。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

野球・データ編

所属している草野球チームで、打率などの個人成績を把握したいと相談を受けていた。Googleスプレッドシートで試合中ポチポチと打てば結果を集計出来るシートを作り、試験的に1・2月の試合で集計した結果をアップロードした。

見える化がされると皆喜んだ。近い数字の人をライバル視したり、モチベーションには繋がっているらしい。しかし、この草野球チーム、根本的には練習をほとんどしないので、データを反映して改善がされるという事は実質的には無い(例外的に、見逃し三振の数をカウントしているので、見逃しを嫌がりバットを振る気概が増しているというのはありそうだが、これが真の改善かは分からない)。

実態的には何ら改善を提案していないのに、データが揃う事で、何となくモチベーションが上がる…いい加減なコンサル業だ。逆に言うと、それでもこれだけ喜ばれるのだから、いい加減なコンサルでも評価されて世に幅を利かせているのだろうという事でもある。

痩せた

痩せはしたのだ。この2年くらいでの増分は全て減った。そりゃこれだけ筋トレと運動をすればね、と本人としては何ら驚き喜びも無いのだが、まぁ30代後半が酒を飲んでいても痩せられるという事が分かったのは収穫だろう。

むしろ気になっているのは弊害の方で、いざという時に気合が入らない感じがある。もうひと頑張り、という気持ちを出すのに苦労する。ちょうど気持ち的にもきつい時期ではあったのだが、食べて元気を出す力が落ちている気がする。経験的に業務繁忙期は少し体重が増えるくらい食べている方が働けているという事と照らし合わせても、やはり(いかにゆっくり目にしていようと)カロリー収支マイナス状態だと火事場の馬鹿力は出ないのだろう。余力が無いと緊急対応できないのは社会や法人に限らず自然人でも同じことだ。

過去に太った結果写真映えが良くなったと書いたのも、似たような話なのかもしれない。余力。

大豆

節分の大豆、今一歩酒の当てにならないな…と毎年思っている。最近はちょっといい大豆の選び方が分かったので美味しいものを食べてはいるのだが、ツマミという程にはならないというのが正直なところだ。

普通のビールに合わせるには塩気が足りず、日本酒に合わせるには旨味が足りない。泡盛の口直し辺りが良いかと思うも油分が足りないのかなんとも味気ない。ワインは試す気にもならない。ウィスキーでは食べる意味がなかった。ジンが行けそうな感じもしたが、やはり少し力不足の感があった。

今年、そういえば未検証だったなと黒ビールにしてみたところ、これは当たりだった。来年からもこれをやっていきたい。

ちなみに「節分に飲みたいならつまみは恵方巻にすれば?」というのは禁句である。

新宿

地球外少年少女が新宿ピカデリーでやっていたので、久々に新宿に行った。実はJR新宿駅東口を最後に使ったのは東西自由通路が出来る前だと気づき愕然とする(新宿三丁目駅はちょこちょこ使っていたのだが)。面白半分で通ってみるとこれは便利だ。思い出横丁脇とか、大ガードとか通らなくて良くなったんだな。

さて、新宿ピカデリーに来たなら昼飯はここだろう、と「王ろじ」を覗いたら長蛇の列で驚いた。以前も人気店ではあったもののここまで並ぶ事は無かったはずだが…と思ったら数年の間に芸能人が紹介したりしていたらしい。ははぁ。

結局、新宿ならばこれも「らしい」よな、と桂花ラーメンを食べた。混み具合も知っている感じ、味も変わらず安心する。

変化についていけていない気がする。ロボットレストランも無くなった。こんな事も言っていたのに。

ひらがな

実はずっと「AIのべりすと」を「AI の べりすと」と捉えていて、「べりすと…すとはStoryかな。べり…?」とか思っていた。AI Novelistだったのか。

分かった今でも、Novelistはあまり使わない単語だろ(小説でもauthorを使う方が多くない?)と思うし、その使わない単語をひらがなで書かれたうえに、「AIの」と来るので、全く認識できていなかった事も仕方ないと思う。皆すぐに「のべりすと」と認識できていたのだろうか。今こうして打ってみても「延べリスト」かと思う。ひねもすのべりのべりすと、とか打つと古文っぽい。

全て、ひらがなが悪い気がする。

誕生日に嫁に服を買ってもらった。今回は昨年末くらいから「服を買わないとな」と思っていたのだ。それと、服をプレゼントでもらうと、着るたびにもらった事を思い出せて良い。

ところで服を買うぞという段になって、(この2年もあって)なかなか服屋に行っていなかった事に気づき、せっかくなので池袋でP'パルコからパルコ、そのまま西武へとメンズエリアを梯子した。気付きとしては、2点。1つは、当たり前だけれど若者のファッションは30代のファッションと大きく異なる事。ビッグサイズの、かつ前が開かない服なので、レイヤードという概念がもう無いんだなと改めて思う。インナーを安くできるし、合理的だ。見方を変えると、レイヤードな着方しているのはおじさん丸出しなんだなとは思う。DCブランドが死んで、レイヤードな感じになって、それも古くなってポップアイコン化している…のか。

もう1つは、ブランドとしての「時代への対応力」にはずいぶん違いがある事。先の通りおじさん向けのブランドにもはや半分なってしまっているSHIPS達、海外ではラコステなどの変化のなさにはむしろ感動すら覚える。一方でちゃんと令和に向けて少しずつチューンしているブランドもあるし、(上記のルートだと最後に訪れる事になる)ハイブランドたちはしっかり時代をけん引していた。

前も書いた通り、老人たちは僕らから見ると「老人らしい服」を着ているのだけれど、彼らの若い頃の時代の写真を見ると今と同じ服を着ているのだよな。大学生の頃のセンスで服を着れる30代は、若いのではなくて「変わらない」、つまりは古いのだ(それはそれでそういうブランドがあってくれてはいるのだけれど)。結局、同じ服を着続ければ、時代性を帯びるのだ。少しずつ着る服を変えていかなければならない。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。