呟きもしなかった事たちへ_No.20(2021年2月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

2月1日公開の文章に1月初夢の話をする。1か月先取りをしてクリスマスの話を11月号でするようなものが出版物業界では基本であろうが、これは非商業Noteなのでむしろ2月号は1月振り返りになる。

しかし1月に準備していた節分の話もする。時空が歪む。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

初夢

さて初夢。人の夢の話はへぇーと楽しめる時と知らんがなとなる時があるが、まぁこのnoteは私のチラシの裏メモだからいいだろう。

例年初夢はしんどい事が多くて、どうもこれは大みそかと元旦の不摂生(寝る時間も飲酒量もおかしい)が原因ではないかと思っているが、とにかくしんどくて、学生の時の初夢は今でも思い出す。今年は年越しの酒は元旦午前にはちゃんと抜け、元旦は酒を控えていたので、まぁ大丈夫かと思いつつ早めに寝た。

結果として豊作だった。駅前のコンビニでバイトを始めるも知らない業務があってマニュアルを探す話(なぜか同僚にデイリーポータルZ編集の橋田さんがいて、「雑誌売り場にマニュアルありません?」と聞いてきた。無いだろと思ったらあった。こんなところに置いちゃダメだろ)、飲み会をカラオケボックスのビルでやっていて途中で1Fのバーガーキングにフライドチキンを買いに行くもなかなか出来上がらない話(背景がNYみたいだった)、その買い出しからなぜか電車に乗って高校に向かうも謎の事故対応により江古田を通過してしまったので戻る電車に乗り換えるホームで不思議な列車を見る旅(嫁も同行していた。どこからだろう?)。最後の列車の旅は高校生に戻っていて、ホームを乗り換える間に「あー英語が駄目だから今年はまぁ大学受からないわな。」と考えていた。全体的に何かに追われていたりする感じは否めないが、まぁぐったりするほど疲れるものでもなく、起きて振り返った際に楽しめるレベルだった。

思い返すと、初夢では今年に限らず会社の夢を見た事が無い。しかし嫁は出てくるので学生時代に戻っている訳ではなく、年末年始くらいは仕事を忘れているということか、さもなくば根本的に仕事に興味がないかだろうか。

力うどん

三が日、どうしても餅があまり、そして出汁が余った(先月号でも書いたが、うどんや蕎麦の通販が重なり、出汁が来まくったのだ。あの手は「足りないよりは」と多めに出汁を送ってくるので余る。)。雑煮にするには野菜と鶏肉が尽きた、と言う方が正確かもしれない。冷凍庫にはうどんがある。力うどんにするか悩んだ。

しかし、力うどん…どうにも具として成立していない気がする。小麦と米の違いはあれど、主食かぶりだし、味も劇的には変わらない。なんというか「パン丼」だ(上下は逆か)。店で見かけても、うどん大盛りじゃダメなのか?とツッコミを入れてしまう。

結局自分も避け、素うどんにした。出汁は無くなり、餅は余っている。

仕事始め

思い返しても、今年の仕事始めは全然エンジンがかからなかった。

昨年末まで在宅でもそれなりに仕事はしていたのだが、これは「平日は家にいる時もそれなりに仕事しましょう」というルールが体に一応染みついていたのだろう。土日はといえば、土曜は(こうなる前は)秘密基地の準備があったりしたし、日曜はその回復と復活後の買い出しで一日を使い果たしていたので、要は平日と土日が在宅環境下でも違いがあった。それが、年末年始の休みの中で「体力が余ってる日でも、家で何もしなくてもいい」事が可視化されてしまった。仕事始め、この休みの経験が効いたのか、ビックリするくらい仕事始めにエンジンがかからなかった。

だが、会社の業務も4・5日くらいまでは動きが悪かったので、こうした状況は僕だけではなかったのだろうなとも思う。「在宅である」事(およびその理由)への緊張感が薄れてきている中、真の在宅ワーク環境は2021年に始まったのかもしれない…とも思う次第。

ルーティン

もう書かなくなって久しいが、昨年5月からコーヒーを淹れ続けている(経緯はこちら)。朝食後皿洗いをしながら湯を沸かし、皿洗いが終わると同時にコーヒーを淹れて、それから仕事にかかる。かっこいいルーティン。

ところで僕は胃腸だけはすこぶる健康な男で、どんな飲んだ翌朝も、ノンアルコールで早めに寝た翌朝も、朝食を食べるとしっかり腸が動き出す。なので皿洗いをして湯を沸かし終わる頃、トイレに行きたくなる。

結果、毎日(本当に毎日だ)やや焦りながら湯をドリッパーに注いでいる。コーヒーを淹れ終わると仕事の前にまずトイレに行く。かっこ悪いルーティン。

トイレに先に行けば良いと言われそうなのだが、皿洗い時に湯を沸かすのが作業効率がいいという思いがある。皿を洗いながらトイレに行けるならコーヒーを沸かす事を後にしても良い、という無謀な交渉の結果だ。

牛丼

先月号で牛丼の話と、「米を炊かずに生活する」話をしているが、果たして米を炊かない生活は1月3日で終わった(こういうと3日坊主みたいだが、実際は12月26日からなので頑張っている方である)。米を炊いた理由は、「新春用のすき焼き肉が食べきれず牛丼の具を作ったから」である。別に牛丼の具で翌日もビールでも開ければよかったのだが、嫁が流石に胃を休めたいという事でノンアルコールで牛丼となった。

牛丼の具は果たしてご飯の上にのせると牛丼になり、本来そのままでは「牛皿」である。牛丼の具と言った時点でご飯の上に乗る運命は決まって、勝負ありだった。「牛丼の具を作った」と言わず「牛皿を作った」と言えば嫁も諦めてビールで牛皿だったかもしれない。カツ丼の具と言わずカツ煮と言えばそれはツマミなのと同様である。

お粥

七草粥用の「七草フリーズドライ」が美味しい便利なので毎回2パック(4回分)買うが、本当はもっと買いたい。だが買い占めるとなんか変な感じなので毎年2パックまで。去年も同様の事を書いている

のだが、去年は「お粥を作ると白米が炊けないので弁当と共存できない」と愚痴っていた。その愚痴、在宅業務で解消されるぞ…と去年の自分に教えたいがまさかそれと同時に毎日わたわたしながらコーヒーを淹れる事になっているとは教えたくはない。

マウス

久々に出社したら、ワイヤレスマイクの充電が切れていた。まぁそういうこともあろう。レシーバーを外し、(会社のPCはノートなので)トラックパッドで作業をする。

しかし人よ知っているか、どんなにトラックパッドを触っていても、机にマウスがおいてあると人はマウスを掴むものよ!興奮で文体も乱れようというもの。

天丼芸などというレベルではなく、何度もマウスをつかみ、「あれ?」となった。これが癖というヤツか。

春菊天そば

久々に良い駅そば(立ち食いそば)に合えた。出汁がちょっと辛め、春菊天も揚げたてではないが油をまとった野草としてそこに味を足してくれて、駅そばらしいふわふわした食感の蕎麦でそれらをすする。七味が湿気てないのかちゃんと香りがして、かけると上品な感じで味が締まる。420円でこれは良い。

…という、こういうしゃらくさいグルメ評、昔はあまり好みでなかった。もっと直感的に「うめー、がつがつ」と食べているのが実態で、こういう評価は後付け感がある気がしていた。しかし、年を取りがっつく事がなくなると、食事中に「うまいなこれ」と思っている感情と向き合う時間が長くなって結局こういう事考えちゃうんだよな。

つまるところ飯の美味いまずいをやたら書きたがるのは老いであるのではないか。

袖振大豆

2年前の節分でたまたま買った豆が妙にうまく、「節分の豆、酒のアテにもならんし困ったな」という問題を見事に解消してくれたスマッシュヒットだった。裏を見ると袖振大豆と書かれている。なるほどこれを検索すれば良い豆が買えるなと夫婦で(酒を飲んでいたのに)しっかり覚えた。

ところが翌年(つまり去年)1月に節分用の豆をネットで探してもなかなか袖振大豆が出てこない。あっても500gとかとんでもない分量だ。諦めて普通の豆を買った。

さて今年、1月の上旬にスーパーに行くと袖振大豆が普通に売られている。ただし在庫が少ない。そうか2年前買ったのもこのスーパーだったのだ、大事なのは買うタイミングか。袖振の名だけ覚えていて、買った場所は忘れていたわけだ(食べる前は節分の豆なんぞこだわってなかったので当たり前ではある)。こうして色々な事に解像度を上げて生きていきたい。

なお袖振大豆は本当に美味しいので、まだ明日の春分に間に合う方はぜひ探していただきたい。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。