自分のことが大嫌いになった話
はじめに
ちょっと愚痴というか、モヤモヤしたことを書くので、不快にさせてしまったらごめんなさい。もし良ければお付き合い下さい。
今年、私が市の代表として、特別活動(学級会)の授業をすることになっている。
特別活動とは、簡単に言えば学活。「学活って楽しい!」というイメージを持つ子どもも多くて、私もとても好きな授業だ。
ただ、私は特別活動の主任でもなければ、今まで学級会の勉強をしてきたわけでもない。
縁もゆかりもないのだけれど、共に働いている特別活動に強い先輩が私の教室を見て
「市の代表で授業してみない?」
と声をかけてくれたのがきっかけだ。
きっと、私の教室に特別活動の要素が溢れていたのだろう。それを感じ取ってくれたことがとても嬉しく感じて、二つ返事で引き受けた。
そして、1学期から研究授業に向けて準備をしてきた。何より大切にしたのは、研究授業だけではなく、それに至るまでの過程だ。その日までに何をしてきた、何を積み重ねてきたかの方がよっぽど大事だ思ったからだ。
そして11月まで来た。市の学校の特別活動主任が集まり、指導案検討をすることになった。それぞれの学校の主任が10人ほど。そこには、市の重鎮?と思われるような方も来られていた。
そこでは、私の思いをしっかりと受け取って下さり、その上でたくさんのアドバイスをいただくことができた。
最後に、市の重鎮が口を開いた。
その方は、以前校長もされていて、〇〇スタンダードのような、「学校としてこれを統一して取り組んでいきましょう!」というのに長けていたみたいだ。学校全体での意思統一ができるって凄いと素直に思う。
その方の意見として
「学級会は、机をコの字型にしてするのが普通だ。他のクラスはどうなってる?学校全体としてはどうなってるんだ?」
と。ピリつく空気を感じたのは私だけではないはず。
しかし、指導案には「コの字型では、上手くいかなかったから、円にした。」と書いた。
そこには背景がある。
私が受け持つ子ども達は、去年は4クラスのため1クラスの児童数が25人ほど。教室のスペースにも余裕がありコの字型でも十分なスペースを確保できる。
しかし、今年は3クラスの37人。そもそも机が多く、子ども同士の距離が果てしなく遠い子もいる。この環境で学級会をしても、児童同士が話を聞き合うのはそもそも難しいと感じていた。
そこで、机を下げて椅子のみにして円の形にした。すると、お互いの顔がよく見えて、言葉が届きやすくなった。話し合いも、以前よりうまくいくようになった。
つまり、うまくいかないことに対して、環境調整という手立てを打ったのだ。
それなのに、トップダウン型の揃える方がいいって…
そりゃ、分かりやすい型があって、それを学校全体で共有し実施できたら、教師は分かりやすいし、子ども達も教師が変わっても方法は同じだから、積み重ねができる。そのメリットは重々分かっているんだけど。
大切なのは、方法を揃えることなのだろうか?
本当に大切なのは、
学級会を通して
・話し合ったり
・聴き合ったり
・合意形成を図ったり
そんな経験を積み重ねることじゃないのか?
決して、
合っていない方法を積み重ねる
ことではないと思うのだが。
しかも、私は一度その方法を試してみて、うまくいかなかったから変えた。それだけだ。
子ども達に合っていないことを続けることなんて、それに気付いているのに動かないことはできない。そうなったら、教師を辞めた方がいい。それこそ、教師の思考停止じゃないか。
日本の武道や茶道の考え方に、守破離という言葉がある。
守:指導者の教えを守って基本を習得する。
破:守で身につけた基本をベースにしながら自分なりの工夫をして、徐々に基を破り発展させる。
離:型や教えから離れて、独創的なオリジナルの個性を発揮する。
私は、この学校の「守」をした。
そして、「破」「離」に至ろうとしたのだ。
なのに…笑
もう、私は織田裕二になりたかった。
「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きてんだ!」
と言いたかった!
そして
「地球に生まれてよかったー!」
なんて言える気分では到底なかった。笑
ただ、こんなことはよくある。問題はこの後だ。
そのアドバイスを受けた時に、
「そうですよね。揃えるって大切ですよね。」
と言った自分が大嫌いになった。笑
なぜ言えない?なぜ説明しない?
なぜ正しいことを正しいと言えない?
自信を持ってしてきたことを、自信を持ってなぜ言えない?
あー、ほんまに自分のこういうとこが大嫌いだ。
社会的にうまく生きるってこういうことなん?
大人になるってこういうこと?
子ども達には、「言いたいことは伝えた方がいい。」と言ってるじゃないか。
あーやだやだ。
これは、
「しなやかに生きる」
とは別だよな。
それでも、他の同世代の方々からは、
「変えなくていい。子ども達と先生が自分らしさを発揮することが大切だから。」
と声をかけてくれたり
それこそ重鎮と同年代くらいのベテランの方が
「そのままがいいよ。だって、そうやってクラスを作ってきたんだから。」
と話してくれた。
そして、私の教室を見に来てくれて「これステキですね。」って写真を撮ってくれたりした。自分がしていることが間違いじゃないって思わせてくれた。私のエゴを前向きに捉えてくださって本当に感謝である。
もし、私もいずれアドバイスをする立場になったら、そうでありたい。
どんなに「ん?」と感じたことであっても、思いや背景から紐解いて声がかけられるような人でありたい。
さぁ、12月にはいよいよ研究授業だ。
当日は、子ども達の思いが溢れるように
ただそっと
みんなのそばにいようと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。