本当に可哀想なのは誰なのか
ずいぶん時間が経ってしまったが、
去年の夏に久しぶりに両親に会ったときのことを振り返っておきたい。
千葉県の端っこの小さな駅で両親と叔父の姿を見つけた。
母は私の両頬をシワシワカサカサの両手で挟んだあと、「歳とったんだね」と言った。
しばらく会わないうちに老けたなと思ったのだろう。
そう言う母のショートカットの髪は真っ白になっていた。
駅から車で30分くらい走ったところに叔父の家があった。
マンションの部屋の窓からは海と砂浜が展望できるはずだったが、マンションは工事中で窓がシートで覆われていたため景色は何も見えなかった。
叔父はリゾートマンションと言っていたが、古びれていて、とてもそのようには見えなかった。
砂浜にはサーファーの姿もほとんどなかった。
ひとしきりお土産を交換した後、テレビを見ながら、母が中心となり、叔父に何かあったときの決め事をした。
父はいつも通り無関心を装った。
父は早くに両親を亡くしているせいか、極度の寂しがりやで、人が死んだときの話が苦手なのだ。
話し合いが終わってしまえば、あとは何もすることがなかった。ただ4人でテレビを眺めていただけだ。
久しぶりに会ったはずなのに特に話したいこともなかった。
私と母、母と叔父はそれぞれ仲が悪かったはずだが、険悪な空気はなく、取り繕われたような気はするがどことなく軽やかな空気が流れていた。
母は昔から何か思うことがあっても平然とした態度で接してくるときがある。
でもそれは若干無理を効かせた態度であることを私は幼い頃から容易に感じ取ることができた。
無理をしているときの母の声は半音ずつ高いのだ。
一緒に暮らしているときは、そのあと本音を話し合って解決する必要があったが、今はもう取り繕われた態度であったとしても、その一瞬さえ乗り越えられればいい。
夕方になって叔父の家を去り、父母と近所の温泉旅館へ向かった。
ここで一晩3人で過ごすのかと思うと気が重かったが、一人で温泉に入って、テレビを見ながらスマホを見ていたら就寝時間となり、早朝4時に母にカーテンを開けられて起こされ、豪華な朝ごはんを食べたら、あっという間に出発の時刻となった。
父母とは別々の時刻に出発して一人で空港に行きたいと思っていたが、父から一緒に空港に行きたいと言われたので、バスと電車とモノレールを乗り継ぎ、3人で空港へ向かった。
空港でコーヒーが飲みたいというので、スタバに入った。
そこで、どういう話の流れかは詳しくは忘れたが、
たしか私が子供を両親に預けて遊びに行きたいという冗談のような冗談じゃないような話をしたとき、
子供に泣かれたら困るからムリと母親に言われ、
さらに「孫に会いたくない」と言われたのだ。
果たしてこの世に孫に会いたくないと言う祖母がいるのだろうか。
そんなに自分たちの平穏な生活を乱されたくないのか。
私が親孝行のために孫を連れて行ってあげようなどと思わないようにするための優しさか。
本心から孫に会いたくないのか。
単に子どもが苦手なのか。
彼女の本当の気持ちは昔からわからない。
あまりにも非常識なことを言われると、意外とその場では反論できないものだ。
その発言はなかったかのように、その後も話は続けられた。
父は平静を装ったままだった。
本当に可哀想なのは
祖母に会いたくないと言われた孫なのか、
孫に会いたくないと言う必要がある祖母なのか、
どちらなのだろうか。