はたして他人事でしょうか
10月が始まりました。昨日の今日ではありますけれど、9月があらたまって10月になる、というのはほかの月とはまた違ったせわしなさを感じる方も多いのではないでしょうか。
事業を運営する環境においては、今日から最低賃金が引き上げられることと、社会保険加入対象者が拡大されること。
一般消費者の目線で言えば、商品価格の改定(上昇)が挙げられるかと思います。
また多くの方にとっては暮らしの基盤になっていると思われる住宅ローンの金利についても引き上げられる、と考えて事業運営していかなければなりません。
与党総裁選による政権内閣の交代の経済面での空気について、昨日の朝とりあげてから開いた市場の反応について触れておきます。だろうな、とは思っていましたが正直これほどとは、という反応でした。またそれだけの反応を誘いそうな組閣ではありました。日経平均株価で一時2千円超の下げ。
ここまで挙げた「経費増」と「評価額の下落」だけでも、全体の経済規模(動くお金の減少)、個々の企業活動の停滞はなかなかな圧力になりそうだと想像されます。
どうにか「流量」を回復させる方策に知恵を絞らなければ。(まぁ常にそうなのですけれども)
さて、そのような話題からひとつ取り上げます。前置きが長かったので、ここからは短く書き留めます。
「郵便」は「元祖通信」、私たちの業界、監督官庁のおシゴトの「偉大なご先祖さま」です。
この「元祖通信」サービスの値上げ、そして行く末「持続性」について考えたい、と記しておきます。
「民営化」されて長いこと経ちますが、「近代」国家として国営で行われ世界に誇るサービス品質の通信事業でした。「通信」はもともと「私設」のものを「”近代”の国家概念が国営を当然とした」のち、私たちは民主主義の名の下民営化を選んだ、という流れを押さえておくのは重要だと思います。
企業活動をしていると身に沁みますが、いまでも「書面による通信」が様々な局面で権威的で、制度に組み込まれて認証に用いられている、ということを痛感します。
これを一掃(DX)するにはまだまだ労力と時間がかかりそうです。
一方で年賀状に代表されるように、この郵便というサービスが「時代遅れ(消費者生活の主役の座から下りている)」なのは明らかです。
ただ、「物理媒体(紙、書面)による通信」が主役の座から下りただけであって、「通信」は相変わらず市民生活・消費者の暮らしにとって「必須」であり、現代では「基本的人権」の一部であることに代わりはありません。
何が言いたいか、というと「近代の基本的人権、として民主的に、ここまで育ててきた通信サービス=”郵便”は、その主役の座を電気(無線)通信に明け渡した。では、後継の”電気(無線)通信”は、”かつての郵便”並の重要度で扱われているか」
電気通信は、郵便よりも早く自由化・民営化し、その故に大きく発展しました。いまや、かつて国営だった名残、空気のようなものはほとんど感じません。”良くも悪くも”感じません。
民間で提供されているサービスに対しては、消費者にはある程度距離感があるように思います。
その「距離感」の要因、中身はなんでしょうか。曰く「事業者にどうこう言える立場ではないが、選ぶ権利はある」?そこに含まれる、「当事者感の希薄さようなもの」(あるいは”自己責任”論で突き放したような感じ)、それで良いでしょうか。
本当に「選ぶ権利はある」でしょうか。いまですら「寡占」で、いえ、一部の「ITを隠れ蓑にしたICTの巨人たち」は「事実上の独占企業」で、私たちの暮らしはすでにどっぷり彼らに依存しきっています。
「郵便事業は、時代遅れで、高コストならなおさら、このまま自然の成り行きに任せて消滅するか、高料金にして続けたら?」
郵便事業を守れ、という話しではありませんが、私たちの手もとの「通信」は、私たちのものとして堅持しなければならないと考えています。
電気(光、無線)通信は、果たして他人事でしょうか。