形式・様式をなぞること

経産大臣が関電の経営責任者と「オンラインで」会談したというニュースがあって、このIT未開の「わが国の政府」の首脳がオンラインでなんて、さすがCOVID-19、黒船並みの外圧だな、なんて思って、ふと考えてみました。
「わが国」はどうしてそんなにIT後進国なのか。

オンライン面談なんて、商用インターネット開闢(かいびゃく)以来、それこそ当社創業(97年)より前の「友人の結婚披露宴」のときから可能だったので、「その気さえあれば」大臣のような移動や時間、警備に制約の厳しいひとが「いつでもどこでも誰とでも安全に」面談することなんて「政府ほどのお金持ちなら」四半世紀も前から日本ではできたのです。
なんでできなかったのでしょう?「その気がなかった」とはどういうことでしょうか。

実際に「政府のモチベーション」がどうだったのかは私にはわかりませんので、このことから自分にできることは何なのか考えてみます。
おそらく「形式、様式はそれが目に見える姿になっている時点で "古い(陳腐化している)" ということを知る」ことだろうと思います。
何かを「改めよう」とするときに「形式・様式 を 聖域化してはいけない」ということ、かな。形式・様式に手を付けずに新しい方法を入れようとすると滑稽なプロセスをつくることになってしまうことが多いように思います。

よく言われるのは、「ICTツールを導入する、あるいはIT化する(いわゆるDXでしょうかね)ときには、既存プロセスに拘泥してIT/ICTを適合させずに、IT/ICTの強みを極大化できるようプロセスそのものから見直せ」ということですね。
冒頭の話でいえば結局これまで大臣と財界トップの "お互い超忙しいひとどうし" の会談は「直接会う」という "形式" にこだわりすぎていた、ということではないかなと思います。

マーケティングコンサルの世界では「ゲインクリエーターよりもペインリリーバーであれ」と教えるそうです。
ペインリリーバーであろうとするとついつい「当面する課題」に「局所最適化」した解を与えがちなんじゃないかと思います。そうすると「既存の形式・様式に最新テクノロジーを充てた」ような、苦笑を誘うようなことになりがちなので、「痛みをとる」際にも根本から考えるように心がけたいものです。

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