ある、自治体行政システムの更改のときの話
昨日は、ついに一日抜いてしまいました。
木曜日はとりわけ朝の時間に余裕がないのですけれども、時間のやり繰りが厳しい一日でした。今日も厳しめで、今週は全般に厳しかったのですが今後もこの傾向は続きそうです。ま、私の立場上、良いことなんだと思います。この忙しさを、事業を通じた価値創造にいっそうつなげていれたらと思います。
さて、この日記ももうすぐ4年、になるんだったと思います。
この日記には、記憶だったものを記録にしようという動機もありました。これまで四半世紀余りこの事業でこの企業を経営してきていて私の記憶の中にだけあるもののうちいくらかを「共有」できるものにしておこう、ということです。
これまでに「たしか書いたと思ったんだけど…」と、検索してみたのですがどうも見つからない、今日はそんなテーマです。あとから見つかったらリンクしておきます。
かつて、10年ほど前だったでしょうか、ある自治体の行政システムの更改のタイミングがあり、行政システム向けのベースになる実装を開発していたさる公的機関がそこへ提案を企図していて、私どもにも「開発体制」の一社として声がかかったことがありました。およそ一年弱にわたり自治体やその周辺の方々に対して事前の認知向上や需要・要件の聴取などを行った、と記憶しています。
その認知向上や要件聴取の段階がひと段落したところで、「公的機関」側が求める「話し相手」が変わってきたところで、彼らと一緒に動くことが減りました。
私の持っている「ポテンシャル」が次のフェイズではマッチしなくなったのだろう、と当時は思っていました。この段階で私の存在はこの活動からはフェイドアウトし、そのうちこの話そのものが聞こえなくなって、いざ蓋を開けてみると「従前のシステムベンダが、新システムの開発をすることになった」と知りました。
「ソフトウェア開発会社」の観点からすると、自治体の行政システム更改は「事業の構造を向上させ、かつ安定させる」可能性を感じさせる数年に一度の機会です。
この期待が示す通り、一度枠組み・座組が決まると更改があっても、実際変えるとなるとかなりの「意志」を必要とするので、この機会はいっそう稀なものです。
私の四半世紀余の経営者経験でも、ここまで近づいたのはこのときだけです。
前述の通り、10年ほど前の話でしたが、先日、結局この話は「公的機関の人物」の「見切り発車」「勇み足」によって「所属機関からはしごを外された」カタチで消えた、と、このお話しに最初から関り、”看取った"方からお聞きしました。この「人物」は機関の中の「行政システム向けソフトウェアベースの開発担当(責任?)者」だったそうです。
私は、ある時点から私をこの話から遠ざけてくださった方々によって「守ってもらえた」のかもしれません。あるいは、私は”見届けるまで”関わることをせず、自ら手離したのかもしれない。
そう思うと、慙愧の思いが胸に広がります。
慙愧の念に駆られているだけではなくて、もう少し今後につながる、後進の方の役に立つ話ができるよう、整理すべきことはたくさんあると思っていますが、まずはその契機として、この日記に記しておきます。