決着の1点、通過点の1点

「決定的な局面」での「成否」は注目を集め、成功者と、ときに「戦犯」とを生み出してしまいます。
この日記でもバスケットボールになぞらえてときどき記していますが、それは「その決定的な局面での1点も、なんてことはない試合の流れの中の1点も、試合の趨勢を決める1点としては”同じ”重み」と伝えたいわけです。
むしろ決定的な1点には、あまり責任がない、のかもしれません。だって、その局面はもうどうしようもないのだから。
引用した試合でいえば「とてつもないプレッシャーのかかる1点に”なってしまった”」責任は、それまでの「115点」の中にあったのですから。
事業の執行も同じ。

「楽に勝てる、最後の1点」であれば、そんなに苦労しなくてもいいし、失敗したりしないのです。
まぁ、「重圧があっても精度の高いシゴトができるのがプロ」というかもしれません。ですが、プロだって圧が無い方がいいシゴトができるものです。

「プロのシゴトっていいもんだなぁ」と思ってときどき眺める「大工の正やん」ですが、大工の正やんですら「この状況」だとご自身で「70点」というデキと仰ってます。

最後の1点を「戦犯」にしないように「通過点のシゴト」も最後の1点のつもりで、最高のデキで、最高の成果で積み上げていくことが大事ですね。

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