おとなになりたい?
台風が九州に近づいていて気象庁が重々警戒するよう呼び掛けている朝、この日記でいえば昨日羅列した「テーマ」からいずれかを拾って書く流れかな、と思いはするのですが、ちょっと違うテーマで書き留めておきます。
地域の初等教育の当事者の方々に、当該機関が抱えてらっしゃる「課題」への構造的・持続可能な対応と当業界の人材育成の相互益になるような施策の検討をお話ししに行ったことがありまして、いまのところ「それどころではない」ということで「懸案」扱いになったままになっているのですけれど、そのご縁で今般ちょっとした機会の打診がありました。「はたらくこと」をテーマにした「総合学習」で話をしないか、との由。
この日記をお読みのみなさんは「はたらくこと」をどう考えていらっしゃいますか。
もし「これからティーンエイジャーになる」という若い方々に、ご自身のお考えを話すならどう話されますか。
働くことの意義や働く人の思いに気付き、自分らしい生き方について考えてほしいと思っています。子どもたちからは、自分たちが働くことになるおよそ10年後を見据え
(中略)
・子どものときに好きだったことや自分の長所が仕事に活かされているか
・どのような仕事内容なのか
・仕事の内容や仕事で求められるものは、昔と比べて変わったか
・はたらくにあたり、大切していることは何か
・仕事にどのようなやりがいを感じているか
・10年後、20年後に社会で活躍するであろう今の子どもたちに伝えたいこと
おそらく、いま「労働は必要悪」というのがほぼ社会通念になっているのではないかと思います。
この論点に関して私の立場は完全にマイノリティでアウェイ、マジョリティ側から見ると「はたらかせている側」です。
このボキャブラリそのものにそもそもバイアスがかかっていて、申し上げたいことはたくさんあるのですが、そこは別な論点であるうえにご理解をいただくのにたいへん時間がかかる。4年この日記を綴っているのも一部それが目的であったりしますが、まだまだ途半ばです。
「はたらかせる」「はたらかされている」という”認識”は「必要悪」という”位置づけ”と一体をなすものでしょう。私個人は、前述の立場のこともあって、この是非については特段の見解を持ちません。ただ現状をありのまま受け止めているだけです。
一方、さきほど触れたような「では、まったく白紙の、これから”はたらくこと”と向き合う若い方々」に話をするなら、どうでしょうか。
「理想と現実」ということかもしれません。
はたらくということはつらいことも多い。ここで「楽しいことばかりではないよ」というフレーズが浮かぶなら、「じゃぁ、まずは楽しいんじゃないか(笑)」。
「つらいことも多い」なら、どうしてはたらいているのか、はたらき続けているのか。
「必要悪」ってどういうことなんだろう。「はたらかされている」の正体はなんであるか。
私ひとりの独善的な考え、偏見によらず、多くの当事者の方々のお話しを聞いて、それを若い方々が将来に希望を持ってもらえるような話にできるかどうか。
そう考えると身のすくむ思いがします。若い方々の未来に良いものならまだしも悪しき「ひっかかり」を残してしまうくらいなら「ただの時間のムダ」の方がマシでは?と。
みなさんなら、どんな話をなさるでしょうか。