経済安全保障的思考

先に、脇道な話しから。ここでも「コロナでものづくりが止まった」件に触れられています。私どもの事業ではちょうど「新型コロナ」という名称で感染症拡大が報じられ始める直前に一次開発投資が終了し「さあ、これから回収」というところで需要家であるメーカーの生産が止まってしまい数年を待つことになってしまいました。そして、2021年秋につなぎ資金として政策金融機関からいわゆる「対策融資」を受けた際、この資金需要が事実上「感染症騒動によるものではない」との判定を受け、ほんとうに微小な額の融資に留まったことは書きとどめておきたいと思います。
2021年秋の時点でこうですから、「半導体供給の混乱」によって広く、多くの企業活動が停滞し苦境に置かれ、いまもなおその回復に苦労し破産や不可解な買収の要因になっていることなど、もはや「感染症騒動の影響」などとは政策・金融筋は考えていないのだろうと思います。
いままさに眼前で起こっているこの風景から、「社会的責任」とは何なのかを考えさせられます。

で、こちらの記事から本題。

これまでの企業は、公正な貿易・ビジネス慣行など、安定した国際秩序を前提として活動してきました。政治的に国どうしが争っていても、経済的には相互依存を強めてきたのです

(上記引用記事より「地経学研究所」研究主幹 塩野誠氏の発言部)

今後は、公正な貿易・ビジネス慣行、ことによっては条約などすら頼りにならない、そう述べておられます。「相互依存を深めていけば、その依存ゆえに紛争や封鎖は起こらない」とは「希望的観測」に過ぎなかったことを、私たちは知りました。
一方、クラウド化による「データ植民地化」も「感染症騒動」とは独立・無関係でしたが大きく進みました。データを持つものと持たざるもの。「ソフトウェアの時代」にデータはなによりも「資本」ですからその偏り、とくに手元不在はリスクになります。「次の騒動」への準備と相まって「経済安全保障」的に注目され、社会は「ブロック経済」の方向へ進んでいます。
「グローバルIT経済」はデータ主義からさらに次の段階に入ろうとしているように見受けられます。その前に、まず「データ植民地」経済の進行に対して、できるだけ早期に「本来のデータの所有者」つまり「発生元」との間の公正、均衡のとれた関係性の定義を確立すべきだろうと思います。

この大きな予算に「半導体産業(製造)」が含まれることは、先に述べた「感染症騒動で起こった半導体供給の混乱」があまりにも広範な産業に影響し、それはもしかすると政策ではカバーしきれないものだったのかもしれませんが、記事の中で塩野氏が仰っている「民間の、在庫調整の考え方」の転換と対をなして、今度は対応するという新時代の政策姿勢を示すものなのでしょう。
前述のとおり経済は「ソフトウェアの時代」で「ハードウェア製造」経済はすでに二周くらいは前時代的な経済ですが、それでも、冒頭述べたように「ハードが無ければソフトもへちまもない」面はあります。しっかりハードを押さえた上でソフトの政策も忘れないで欲しい、それが「(ざっくり)AI」というのは、ちょっと抽象度が高すぎやしませんか(笑)。

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