貧すれば鈍す、には続きがある
事業家、執行責任者が、大小関わらずものごとをどう見ているのか/考えているのかを記して、できることなら少しでも理解が広がってくれたらという思いで、恥を忍んで(笑)公開で日記を書いていたりします。
「事業家、執行責任者とは」と、代表するつもりは毛頭ないのですが、ひとつの実例ではありたいと思います。
「闇バイト」のニュースを多く目にするようになった気がします。
これが「単に注目を集めているだけ」なのか「実数として増えているのか」、また「実数として増えて」いたとして「何かの代わりに」増えている、つまりもっと俯瞰してみれば「もともといた一定の群が移動しただけ」なのか、そういうことはしっかりと見定めなければならないところだと思いますけれど、今日はそこではなくて「貧すれば鈍す」という話しです。
思えばこのフレーズは片時も頭を離れることはないのですが、それは治安や平和の基礎を経済人が担っているという責任を忘れないためです。
一企業人にできることは限られています。安易に線を引きたくはないので、できる限り企業や経済にできることを考えます。そうすると政治との境界線も、自分なりにつかめるものでしょう。
聞けば、中にはなかなかな額の負債を抱えていてまとまった金が必要となり「やばい仕事だ」と気づいたけれど引き返せ(さ)なかったと証言した実行犯もいるようです。
「経済人」になにかできたのではないかと思わされる話です。
もちろん、政治にも、です。「この困窮」が「あの騒動」によるものであれば、「あの騒動」は財界の話しだったか政治の話だったのか。「あの時」にどの程度、どのように応ずるのがよりベターだったのか。
ともかく、こうして治安が悪くなっているという印象に対して社会を構成するひとりひとりがそれぞれの立場で向き合いたいものだと思います。
「貧すれば鈍す」には続きがあるのを知っていますか。
これは易経を出典とする言葉で「鈍すれば窮す 窮すれば通ず」と続くそうです。
つまり「困窮して追いつめられるとかえって未来が開ける」という意味です。
日本語らしく「他力本願」味(み)がありますが、「通ず」という語にはもうちょっと主体的・自発的な趣旨を感じます。
短気を起こさずに、がんばっていきましょう。
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