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好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです

私は明日、結婚する。結婚の定義はわからないけれど、婚姻届けを出しに行く。これから初めて他人と”夫婦”になり”家族”となるらしい。


結婚しようと決めてから、恋人と一緒にドラマ『カルテット』を観た。私は恋人と結婚観をすり合わせたかった。それは、改めて面と向かって話し合うような形ではなく、物語の登場人物にどこまで感情移入できるか、互いに考えながら価値観をすり合わせるようにして、進めるべきことだった。


『カルテット』には素晴らしい名シーンと数々の名台詞がある。有名なのは恐らく、”唐揚げにレモンをかけるかどうか問題”のシーンと巻さんの「愛してるけど、好きじゃない」と言う台詞だと思う。私が一番好きな台詞は、この記事のタイトルにもなっている、すずめちゃんの放つ一言だ。

好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです

作品中でのその台詞は、すずめちゃんがいつも飲んでいる三角のコーヒーミルクに対して、そして好きな人(別府さん)に対して言い放ったものだったが、私が今恋人に抱いている気持ちはその台詞にストンとハマるような気がした。

私は恋人に対して、いわゆるアイドルに対しての燃え上がるような好きとか、めちゃくちゃに貢ぎたいとか、そういった感情はない。もともと人にプレゼントすることやサプライズすることが好きな性分のわたしと、全くそういうロマンチックなことに興味のない恋人が一緒にいるので、自然と私がいろんなプランを立てたりすることになっているだけで、恐らく好きの分量は同じくらいだと思う。たぶん。

この感情コントロールがへたくそで、すぐに妄想してしまうせっかちかつ重めな恋愛観を持っているはずの私が、恋人と出会って、初めて好きだという感情を忘れたのだ。だから結婚するんだと思う。

結婚に至るまでに、様々な困難を乗り越えた。詳細は割愛するけれど、人は頑張れば大抵のこと乗り越えられるよ、と過去の自分に言ってあげたい。

夫婦について言うと、巻さんの台詞も印象的だった。

夫婦って、別れられる家族なんだと思います

婚姻届を書いて思った。「こんな紙切れ一枚で、こんなに少しの情報で、たった一回押した印鑑で、家族になれちゃうんだ。」と。

私の中での婚姻届は、自分も見たことないようなすごく細かくて難しい情報まで書かないといけないもので、すごく重いものだった。それがなんだ、300円で買えるゼクシィに、浮かれたピンク色の婚姻届がついてくるじゃないか。しかも薄いピンクとかじゃなくて割と濃いめのショッキング系のピンクじゃないか。というかこんな大切な書類にハートがついてるじゃないか。(ここの”~じゃないか”という言い回しは『カルテット』第1話の唐揚げレモン問題のシーンを参照)

ゼクシィについてきた婚姻届は切り離す時に私が思いっきり端っこを破ってしまったため、ありがたく練習台とさせていただき、役所でもらってきた一番シンプルなものにちゃんと記入した。

私は、きっとこの紙切れにはなんの意味もないなと感じた。ただの紙だった。「あ、私この人無理かも」と思ったら、すぐに例のあの紙で別れられるんだなとも感じた。(縁起が悪そうなのであの紙の名前は伏せておこうかな)

『カルテット』は、大人の恋を描いている。どうしようもなく叶わない、辛い、でもその恋おかげでなんとか今日を生きようと思える大人たちが描かれている。誰にだって嘘の1つや2つがあるかもしれないけれど、人を好きになる気持ちは本物だと、強く描かれている。

このドラマを観終わった時、恋人が言った「こんなにもカルテットが生活の楽しみになると思ってなかった。」という台詞は、私が恋人と“家族”になるための最初のシーンだったのだと思う。

結婚って、きっとこれからの人生に対する覚悟だ。夫婦って、相手を「好きだってことを忘れるくらい、いつも好きでいられる」という自信が生まれた時に決める関係だ。たとえその気持ちが、いつかなくなったとしても、夫婦になろうと決めた時に生まれた感情は本物だと、きっと数十年後の私は『カルテット』を思い出して、弦楽四重奏のように今よりもっとパートナーが必要不可欠な存在になっている気がする。

ちなみに有朱ちゃんのこの台詞も好きなので、ついでに紹介しておこうと思う。

この世で一番の内緒話って、正義は大抵負けるって事でしょ。夢は大抵叶わない。努力は大抵報われないし、愛は大抵消える。って事でしょ。

少し前の私なら、頷いていたはずの台詞も、今は「そんなことないよね」って思えるくらいには、私は浮かれているんだと思う。

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