結局人生がどうでもいいんだよね、っていう/「医師になろうと思ったきっかけ」の続きの話

五月病が一向に改善の兆しを示さないまま、もう6月が終わろうとしている。
今年の五月病はやけに脱出の見通しが立たない。

昨年の僕は今の僕と別人かと思うくらい真面目だった。
今でもほぼ欠かさず講義に出席して話を聞いてメモを取ってはいるけれど、よそに意識が向いてしまってあれ今何話してたっけ、ってなるような時ばかりだ。一言一句聞き逃すまいと必死に集中してメモを取っていた昨年の自分はどこに行ったのだか。

まあ大方理由はわかっている。ただ抜け出す方法が一向に見つからない。
とは言っても見つからないからと言って止まっている余裕はないというのが現実で、抜け出せないからとずるずる引き摺って座り込んだまま留年だなんてことになったら笑えないので、無理にでも足を動かすために頑張る理由のようなものを整理して作ろうとして、今これを書いている。
まあ、留年という文字を目の前にしても頑張らなきゃと思えないあたりもう手遅れかもしれないが。


医師を目指したきっかけが高校一年生から二年生の時の友人の出来事がきっかけだ、と前回の記事で書いた。
では果たしてそれが医師を目指す理由かと言われると、それはまた違う。

確実に医師を目指したきっかけではある。だけど理由ではない。
わかってもらえるかどうかわからないけれど。
彼女を救うことは僕の人生の目的ではないし、僕と彼女の選択の結果で生まれる二本の人生の流れの交わり方というか、交わるタイミングはもう一度終わっている。交わった二本の線はまた離れる、そういう話。

それに、多分人は、何かを目指す理由が他人だと生きていけなくなる。
何かを目指す理由に他人があってもいいけれど、自分のための何かもないと、きっと。
他人はあくまでも他人で、自分とは別の人生という一本線を描いているから、きっとそれを頼りにして生きてはいけないんだ、と。

医師を目指した理由は、きっかけに隠した自分のための理由は、あった。
知りたかった。なんで人と違うのか。
どうしてみんなと同じように恋愛をいいものだと思えないのか?
どうしてみんなは恋愛を当たり前のように楽しいものだと信じていてそれが共通認識なのか?
どうしてみんなの言う好きがわからないのか?
どうしてみんなと違うけれど好きと言えるかもしれない感情の先は同性なのか?
どうして自分は、どうしてみんなは、どうして。

どうしてみんなが当たり前に受け入れている自分の性別が、体が受け入れられないんだろう。
シスジェンダーでもトランスジェンダーでもない、僕はなんなんだろう。
どうやったら僕は僕のままで、生きていけるんだろうか。
そもそも僕は僕として生きていけるんだろうか。

知りたかった。結局、僕が僕として生きていける方法を探すために。
僕の自認で性同一性障害の診断が下ることはない。(性別違和に変わってなにか変わっているかもしれないけれどそこまでは追えていない)
性同一性障害の診断なしに、どうにかして性別固有の特徴を消す方法はあるか?副作用は?消すことで反対の性別に寄る副作用には、避けるすべは、ないか?
性別が如実に表れている、どうしても好きになれない自分の名前は診断なしにどうにかできるか?
わからないことだらけで、治療、副作用云々をどうしてもただの一般人が詳しく知ることは難しい。調べてたどり着ける前例と僕はあまりにも違いすぎる。
専門医になれば、専門的知識を自分が手に入れれば答えが出るかもしれない。

知っていた。いくら専門的知識を手に入れても自分の望む生き方はできないこと。
性別固有の特徴を消すために、手術を受けるという選択肢はそこに確かに存在してはいる。
だけど手術を受けるには結局術者に今の受け入れられない特徴を晒すことが避けられない。当たり前の話。
でも、どうしてもそれが僕には受け入れられない。
他にもいろいろ結局そんなことばっかりで。
専門医になれば、と思ったけれど、性嫌悪傾向があるのに勉強に耐えられるのかとか、何より親が生きている限り絶対に無理だ、とか。
さすがに多分就職先を親に隠し通すことはできないだろうし、親のいる場所に帰省しなければならない以上、自分の体を望むように変えることもできなくて。隠し通せないから。

僕の医師になりたい理由は、その先の望む未来は何をどう頑張っても叶うことはない。
それを自分がよく知っているから、頑張ったとてな、とどうしても思ってしまう。
頑張っても叶わないから叶うように変えようとは思えなくて、結局そこまでしてでも生きていく、という、そこまでの生への執着と死への恐怖を持てなくて。

さすがにそれじゃまずいなとは受験期から思っていて、あるひとつの理由で自分をずっと騙していた。
それが「好きな人の体調不良をなんとかすること」だった。
散々話しているあの彼女である。(わかりづらいのでそろそろ適当な名前でも付けたいのだがなぜか全くしっくりくるものが思い浮かばない)
以下の記事に書いてあるので、誰のこっちゃという人はこちらを読んで戻ってきていただけると。

彼女は中高の間、とある病気で苦しんでいて、朝から学校に来ていることはほぼなかった。(といっても同じクラスになったことはないので詳しくは知らないけれど)
合同授業の時とか休み時間の廊下でとか行事の時とか、しんどそうにしている姿をよく見ていた。
僕にも同じ病気の傾向はあったけれど僕の場合はそうかもしれないくらいの軽いもので、だから彼女が辛いときに、何もできないのに何をしていいのかもわからないのに声をかけてもいいのかわからなくて、遠くから心配して眺めていることしかできなかったけれど。(ちなみに高校三年生になって見つけたセクマイ仲間の同級生たちにこの話をしたら「それは何もしなくてもいいから傍に居てあげなよ」と言われたがまあ僕にそんなことができる勇気があるわけはない。)

だから卒業したらきっともう会わないけれど、生きている限り出会う可能性はゼロじゃないから。ないと思うけれどもう一回彼女と僕の人生が交わったときに、何か彼女が体調不良で苦しんでいたら解決できるように、専門以外の何かだったとしても軽減できるように。来ない未来だけど、ゼロではないから、万が一のために全部頑張ろう、って。
決して来ない未来なのに自分に言い聞かせて頑張れてしまうのだから単純というかなんというか。

他人を理由にしたら生きていけなくなると言っておきながら、だが、ただの同級生とは違ってどう頑張っても一生忘れられずに引き摺る人だから、いいかなとか思っていた。

一年間、挫けそうになったらそうやって言い聞かせた。
とても将来に関係すると思えない科目も、いつどこで使うかわからないから、って。
思うように頑張れはしなかったけど、それだけでなんとか立ち上がった。

部活でのトラブルとかそんな色々でほとんど限界だったけれど、そうやってなんとか進級した。それから少し経ったある日の話、以前の記事で書いたように僕は全く予想もしなかった形で彼女の進学先を知る。

まるまる1年間会わなかったどころか連絡も全く取らなくてまだこうならもう一生引き摺っていくしかないな、と寂しいような幸せなような愛しいような不思議な気分で諦めたころに、全くもって不測の事態により彼女の進学先を知ることになった。それも本人からでもなく友人づてでもなく、ある友人が別の友人に飛ばしたXのリプライがたまたま流れてきて、というなんとも言えない知り方である。

僕の少数派な面の話、恋愛編|響/Hibiki

彼女の進学先は国立大学の医学部だった。
僕とは違う大学なのだが、僕がかつて小学生時代を過ごした、よく知る地の大学で、微妙に関係が切れきっているようないないようなでかなり複雑な心境ではあるが、それはまあ置いておこう。

彼女が医学部を志望していたのを僕は知らなかった。
卒業式に少し話したときに〇〇大学は足切りがなかった、という話をしていたので一瞬ん?とは思ったけれど。医学部以外に足切りってあるっけ、とは思ったけれど!
正直なところあまりイメージがなかったし、医者をやっていけるほど体調が持つとはあまり思えなかったし(失礼)、家が医者だとか聞いたこともないし(僕が知らないだけの可能性は十二分にある)、兄弟がそちら方面に進んだという話もなかったような気がして。
いや、まあ前者ふたつに関しては僕は全く人のことは言えないが。なんせ他でもない彼女に「絶対文系だと思ってた」と言われた実績がある。

と、そういう話ではなくて。
僕は一体何をやってんだ、という話である。
本人が医学部に進学したのに、いつか会ったときに専門知識があったら何かできるかもしれないから全部頑張ろう、もくそもない。

他人を理由にしたら生きていけなくなる、なんて弱冠高校生の自分がよく気付いたものである。
高校生なんて子供のくせに簡単に真実にたどり着くんじゃないよ。本当に。


何やってんだろうな、と思ってしまって。
見ないようにしてたものも全部全部、頑張ったってどうしようもないしな、って思ってしまって。
頑張ったって何になるんだろうな、何にもならないのにな、って。
何一つ叶えられないのに何やってんだろうな、って。
このまま何もわからないままその場しのぎで騙して騙してどうやって生きていくのかなって敢えて見ないようにしてどうにかしてたのにな。どうしようかな。
そろそろ動かないと本当に人生を全部投げ捨ててしまうことになるから動かないといけないんだけど、何も叶えられない、未来のない人生だから、別に投げ捨ててしまえて、離さないと言えるほどの執着を持てなくて、何のためらいもなく、捨ててしまえる程度のものでしかなくて、

歩く先に何もないことを知ってしまっているから、人生に真剣になれない。
昼下がりのディストピアで見る夢みたい。どこにも現実感がない。


同じ業界で一生働くことになるから、他の業種と比べたらどこかで会う可能性が高いから、いつか顔を合わせる日が来た時に、胸を張って会えるように、と言い聞かせてはみたけれど、果たしてそれで立ち上がれるかな。
立ち上がれたとして、いつまで持つんだろうね。

2024.6.24

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