回顧 2024 etc. ※自傷の話があります
年があけてもう20日も経ってしまったけれど新年初ではあるので、まず、あけましておめでとうございます。
それと、開いていない間になぜか過去の記事が僕にしては比較的見ていただけていたみたいで、ありがとうございます。
スキは返しに回ろうかなあと思っていますが回れるかどうかは未知数です。
回れるといいな。いきなりスキを飛ばすことになるかもしれませんがご容赦くださると幸いです。
3か月前にnoteを更新したきり、開くこともできず放置していた。
まあ体調が悪かったりだとか精神的な調子も同じくかなり悪かったりだとかして。月1での更新を目標にしていたのだけれども3か月も滞ってしまった。
3か月の間僕は何をしていたんだっけ、と考えた。
体調は、良くはない。身体的にも精神的にも割と底っていう感じ。
試験はほぼ全部落ちた。進級はまあ、できなさそう。そもそも大学自体ほとんど行けていない。
ここ1週間くらいずっと夜まで起き上がれていないし、ここ3か月間割とな頻度で同じ状況に陥っていた、気がする。正直あんまり覚えてないかも。
今日はちょっと鬱から抜けたのをいいことに昼夜逆転を強制的に治すべくの徹夜。改善方法としてはこの上なく頭が悪い。
そうだ、去年の年始に書いた100の目標を振り返らなきゃいけなかったんだけれど、あまりにも精神的に終わっているのでやめた。
見返すことすらしていない。頑張ろうって思えてた日の自分が書いた文字が眩しくて、頑張るっていう当たり前のことができてる周りが苦しくて大学に行ったらどうしようもなく消えたくなる今の自分には到底無理だったから。
2024年の達成率の振り返りも2025年版もしばらくお預け。
なんなら1年間お預けだっていい。
目標だとか夢だとかやらなきゃいけないことだとか、自分を縛ること、しばらく全部無くして休みたい。休めないし無くならないけど、自分で縛ってるものだけでもとりあえず、今はちょっと無理かも。
背筋を伸ばして生きていくための、必要な縛りだけど、今は僕の背筋を伸ばしてくれるんじゃなくて、僕の首を絞めて食いちぎる道具みたい。
考えてみればこの3か月間にあったこと、感じたこと、全部上手く思い出せない。
あまりにも"底"で暗くて苦しくて死にそうで辛くてしんどくて、だったはずだけれど、振り返ってみたらそうだったっけ、そうだったはずだよな、でどうも確信が持てない。苦しかったような気がするけどな。たぶんそうなんだけど。忘れちゃった。
まあいっか。よくはないけど、いいってことにしよう。
それもきっと生きていくために必要なことだ。
忘れたくないことでも忘れてしまうこと。過去を、思い出せないこと。
成人の日、中高の同窓会があった。
行くつもりはなかったけど少し迷って、行った。
それはたまたま付近の日程に開催地域で予定があったからで、母親に"卒業式のために買った服(普通に擬態するために同級生たちに合わせて自分の本音が着たいものを全部無視して選んだもの)を今後着ないなんて、お金を大事にしなさすぎだ、お金を何だと思ってる、そんなんじゃ将来痛い目を見る"、と詰られたからで(母親の言うことは全般的に正しい、僕の本音を何ひとつ汲んでいないだけで。そしてそれは僕が言わないことを選択したものだから彼女には知る術もないことで、だから本当に何の罪だってない。いくら僕が苦しくても)、結局のところ大好きだった、今も大好きな相手に会える最後のチャンスだったからだった。
この日会わなければ確実に今後の人生で二度と会うことはない、と思って、それでいいと思っていたしそうあるべきだと思っていたけれど、世界で一番好きな言葉を文章を生み出す人とこのまま永遠の別れになってしまうのがなんだか惜しくて、でも会いたくない人がたくさんいて、それを会いたいひとりと天秤にかけたら綺麗に釣り合ってしまって、迷って迷って、あまりにも迷った。
大学の同期たちに、「行った方がいいよ」って返ってくるのを知っていて何度もねえ同窓会って行った方がいいかな、行くつもりなかったんだけど迷ってて、って聞いてそれでも迷って、本音と建前の乖離を見つめ続けて、結局出欠確認のGoogle formの送信ボタンは自分では押せなくて、比較的仲のいい同級生に頼んで押してもらった。
行ってよかったかどうかはわからない。よかったのかな。
思ったよりも多い人数に中高時代に一切発揮しなかった人見知りを発揮して、ほとんど壁と同化した状態で携帯を意味もなく操作して立ち尽くして、でも何のために来たんだっけって思い返して探し始めたものの、ほぼ全員が着物で髪型も普段と違ううえにお化粧もしていたり、なにより2年間も会っていない人たちの中誰が誰だかわからない人も結構いて、これだけ人数がいたら見つかんないかもな、ていうか来てないかもなって諦めたころ、抜けなきゃいけない時間ぎりぎりにようやく見つけた。
少しだけ話して、写真を撮ってもらって、そしたらもう僕は帰らなきゃいけない時間だった。
なんだか呆気なかった、かもしれない。思ったよりも普通に喋れたしあの頃みたいに緊張はしなかったような気がする。相変わらず顔は見れなかったけど。もしかしたら世間ではこれをもう好きじゃないって呼ぶのかもね。
僕はそうではないかなって思ってるけど実際のところよくわかんないや。
ひとりで重たいキャリーケースを引いて駅を歩く帰り道、なんでかわけがわかんないくらい苦しくて消えてしまいたくなっちゃってわけがわからないまま泣いた。
ちゃんと会えたのに、会えたら死にたいくらい苦しかった。
「他の友達の誰が最初に結婚するんだろうね~も苦しくなかったし、ちゃんと笑えたしちゃんと間を置かずに誰だろうね~!って言えたし恋愛の話なんてひとこともしなかったのに、会ったらずっと中学生のときから変われずに好きなまんまで今後何年生きたってノンケのみんなと同じようになれることなんて絶対にない自分、のことをはっきり認識しちゃった、のかもしれない
なんなのか全然わかんない、だけどすごく苦しい なんでだろうね」
「なんでこんな苦しいんだろね 世界が滲んで景色も感情も上手く認識できないや」
そういえば一瞬だけYにも会った。
この記事のあいつ。中高時代と違って前髪を切ってメイクを覚えてほとんどの人に認識されなかった僕のこと、こいつはちゃんと話す前から認識したみたいだった。会場で初っ端にすれ違って目が合ったからたぶん、そう。
思ってたより100倍呆気なかった。「来ないと思ってた」って言われて、僕はさっきの建前の理由を並べて、終わり。
全SNSを削除して消えようとしたことについてはなんとなく繋がってた他の同級生に対しても罪悪感のようなものがあったから、勢いで終わった後に新しいアカウントを取って何人かと繋がって、流れでこいつとも繋がったけれど、もう一生友達に戻ることはないと思う。
こいつの縮小垢もそのさらに縮小も以前の僕は知っていて今だって知っているけどフォロリクは送らなかったし、あいつも縮小とその縮小からフォロリクを飛ばしてくることはなかった。それが全ての答えだ、と思う。
僕と違ってちゃんと前に進む道を見つけてそこに踏み出した人間だから、それでいい。
僕の新しく取ったアカウントだっていつ消してしまうかわからない。
いつだって「消す」の選択肢はそこで確かに息をしている。
まあ、確かにちょっと悔しかったかも、しれない。自分は進めないままの人間で、ある日全部を断って消えたって、そのあとたまたま会ったって、これだけの薄っぺらい会話を交わすだけで心配されたりだとか怒られたりだとかするような価値のある人間じゃあなかったんだなって。
まあ進める側の人間にはそうあってほしいわけなんだからこんな自嘲が存在するのもおかしな話だけれど。
結局誰にとってもそれくらいの価値しかない人間か、って。
「はたちになったら死のうと思ってたけど生きる道を見つけたきみの現在を知っていて、二十歳で死にたいままのわたしが二十歳で死んだらそれはわたしの勝ちになるんだろうか?
生きてる方が偉い、ってなんなんだろう」
そうそう、Yと一瞬話すより先になんでかYと仲良かったころYが好きだった人と話す機会があった。そこまで仲良かったわけでもなかったけどなんでか。
たぶん僕がある日全部のSNSを消したから、元気だった?って聞いてくれて、元気だよ~って言ったらねえほんとに?ほんとに元気?って聞いてきたから、ああたぶんあいつはこういうところが好きだったんだろうな、って思った。
人見知りの発揮と同時に若干鬱に入りかけてたから、その時の僕の元気だよ~は、どこかに消えてしまいそうな微笑みだった自覚はあるから。良い奴。
同窓会終わりからは結構酷い部類の鬱に捕まった。
ていうかそういえば同窓会前も結構な鬱に捕まってた。ほんとうに本気で死のうかなって思って、結局大好きな活動者の女の子がちょっと前に発した言葉を思い出して、やめた。
400年ちょい後にみんなでオフ会しようよ!って言葉。違う次元に住んでる長命種の、純粋で無垢で傷つきやすくて誰よりも優しいこの子が次元のこっち側の僕らとの命の差に気づかずに、あるいは気づかないふりをして発したこの未来を、約束を、叶わないものでも、叶わないからこそ命尽きるまでできる限り長く守っていようって、思った。
同窓会後にまた同じくらい、なんならもうちょっと酷い鬱に捕まって、中学1年生ぶりくらいかな、本当に久しぶりに勢いで腕に傷を刻んでしまった今の僕にはあんまりだけど、この鬱を抜けたら、この言葉を大事に大事に抱きしめていく日々がまた、来る。その未来はもうそこに見えかけている。
こんなに明確に目に見える形での自傷をしてしまったの、つくづく本当に久しぶりで、わからない。
ああ忘れてた今週は実習がいくつかあって、着替えなきゃいけないものがあるんだった。絆創膏か包帯か、なにか考えなくちゃ。
1日や2日じゃ消えない深さまで行っちゃった。あの頃よりずっと深く。
腕を出さなきゃいけないタイミングのことを考える余裕もなかったのも初めてだな、そういえば。
わからない。
あんなに苦しかった瞬間なのに過ぎたら苦しいの成分が、中身が、内訳が、靄がかかったように思い出せなくなる。そうして苦しかった記憶も段々信用できなくなる。
それもこれも全部、どうにかして生きていくために人が備えた機構なのかもしれない。きっと。
ねえ、僕らいつまで覚えてられるんだろう
生きていくために、死にたいと消えたいを追いやるために、Twitterの全部のフィルタリング設定を外して他人のリストカットの画像を探して永遠に眺めてた、まだ高校生だった夜のこと。
現在地の周りで立ち入れる高そうなビルってあるっけ、って徹夜明け、そこまで詳しくない地域のチェーン店で朝食をとりながら思考を巡らせた早朝のこと。
自分の部屋に刃物を一切置かないようにしてたのに、どうしても苦しくて、使わないから、精神安定剤に、お守りにするだけって言い聞かせて、手のひらサイズの刃物を近所のドラッグストアの100円均一コーナーで手に取ってしまった日のこと。
それをずっとコートのポケットに入れて握りしめて生きてた日々のこと。
結局勢いで傷を刻んでしまった深夜のこと。
湯船の暖かいお湯が傷に沁みる淡い痛みが、どうしようもなく心を休めるのをああそうだった、って懐かしく思ってしまったこと。
腕に傷を刻んで、傷と一緒に苦しみを刻んで、逃げ場のない八方塞がりのこんな世界で、生きようとしてたこと。
本来切るべき想定じゃないものを切ってしまった、小さな雲の形の刃物をポケットにしまって密かに握りしめて、わたしは今からひとつも勉強ができていない、きっと1問だってわからないだろう大学の試験に、それでも向かう。
アイコンを茜色の単色画像に変えた。あの子の名前の色。
祈りのような誓いのような、茜。
花言葉を調べようと思って検索をかけて、あの子の誕生花でもあったことを今更知った。
死にかけでもぼろぼろでも他人から見て信じられないくらい酷い人間でも、わたしは今日を、生きる。
今日という日を、この眩しい朝日の中を、生きていく。
生きていこうって、思う。
2025.1.20
響