頑張る?
頑張るって何だろう、って思う。特に最近よく。
僕の同級生や先輩たちは(後輩たちはまだ出会って日が浅すぎるので今回は除く)、仮にも受験戦争を勝ち抜き国立医学部の合格を手にしているだけあって、勉強が上手い。なんとなく変な言い方だが、勉強ができる、成績がいい、というよりむしろ、「勉強」という行為が上手い、と見ていて思う。
もちろん勉強ができるし成績もいい人たちなのだが。なんというか、勉強というフィールドにおいて最小限の投資で最大限の結果を出す、とか、勉強を頑張ることそのもの、とか、そういうのが上手い。
対して僕は受験戦争をまともに正攻法で戦ってこず、実力でなく運で全てを殴って、自分の実力が全くもって足りていない状態なのになぜか医学生になってしまった自覚があるし、実際入試の結果はきちんと(?)学年最下位である。
高校3年生、受験生の1年は本当の体調不良なのかただの怠けから不調のように感じているだけなのかよくわからないような不調が原因で卒業すらもぎりぎりで、とてもじゃないけれどまともに受験勉強をしたなんて言えない。人生で一番勉強してなかったと思う。
だから本当に、努力で未来をつかみ取って今大学で学んでいる皆と違って僕は「何も頑張っていないのに不当に望むものを手に入れてしまった人」なのである。何年も望んで努力してそれでもスタート地点にすら立てない人もたくさんいる世界なのに。
そうやって、努力に対する正当な結果としてでなく今の立場を手に入れてしまって、なんとなくどこか後ろめたいまま日々を無駄にしている。同じ日は二度と来ないのに。
そうしていつも何日も無駄に見送って、試験前日(当日)こんな時間になっても大した試験対策もできていなくて睡眠を削る羽目になり、睡眠を削った割にほとんど知識がアップデートされることもなく、「また何も頑張れなかったな」をまたひとつ増やして朝を迎える。呆れたことに全く同じ繰り返しからずっと抜け出せないでいる。
頑張らなきゃ、とわりと常日頃思うのだ。でも思えば思うほど、何も掴めなくなる。どうやって頑張ってたんだっけ、と思って振り返ってみてもそもそもここに来るまでも何も頑張れていなかったのである。
みんなどうやって頑張ってるんだろう、と思っても人の努力は見えないし、ましてやそれを生む力の根底なんて見えるわけもなく。挙句の果てにはそもそも頑張るって何だっけ?なんてところまで分からなくなってきた。
なんだか、自分の中で何をどこまですれば頑張った、になるのかがさっぱり分からなくなってしまった。何も頑張っていないななんていつでも思っているくせに、頑張っていると頑張っていないの境目がどこにも見当たらないのである。頑張れていない間に、頑張らなかった間に、どこかへ消えてしまってどんなに見渡しても見つからない。
他人からの頑張ってるの評価って、結局よくわからなくて当てにならないのだ。
頑張ったかも、ってときには頑張ったねって誰にも言われないのに、頑張れてないどうしよう、って思う時には頑張ってるよなんて言われたらもう何が何だかわからない。
頑張ってるよって言ってくれる人は実際に見えないところでではあるけれど確実に頑張っていて結果を出していて余計によく分からなくなる。
結局頑張ってる頑張ってないって何なんだろうな、っていうそれだけなんだけれど。
目に見える明確な基準よりかは何かをやったあとの感覚だとは思っているのだけれど。その感覚に行き着くための、というか、いや行き着くためという言い方は正しくないか。
頑張らなかった期間から抜け出して、相応の努力をできる状態に戻すリハビリがずっと上手くできなくて目標値も見失ってしまった、が正しいかもしれない。間違いなく自分に問題がある話でしかないんだが、自分の基準が高すぎるのかなんなのかよくわからなくなって。高すぎるってことはないはずなんだけれど。
もうそろそろ頭が全然回っていなくて支離滅裂な文章で何が何だかわからないものを生み出している気がしてならないのでここらへんで強制終了させます。
何言ってるのか本当にわからないものが出来た気がするけどまあたまにはいっか。
2024.4.26
響