機械化と労働
朝にゴミをまとめて出したはいいが、ゴミの日は明日だったことに昼過ぎになって気付く。食器洗いで手が荒れたのでハンドクリームを塗ったはいいが、少しベタつくので乾くまであまり手が使えなくなる。家事というのは生きるうえで必要なことだが、まだ好きになれない部分が多い。私が2、3回ボタンを押すと、ロボット掃除機は走り出し、洗濯機はまわり始める。なんて便利な時代なんだろうと眺めながらふと、このなかで自分がいちばん無能なのではないかと考える。
与えられた役割を淡々とこなす機械ほど、私は効率よく動かないし、気分によってはやらなかったりもする。コストと作業効率を考え抜いて造られた機械に、わたしが勝てる仕事などあるのだろうか。レジにいる少し手際の悪い店員よりも、セルフレジの機械の方を頼りにしてしまう時代だ。機械効率と違う土俵で闘っていくには、なにが必要なのだろう。無職になってはや2週間、どこも人手不足で始めやすいが離れにくいご時世、次は将来を見据えて慎重に選びたいところだが、果たして自分は選ぶ側の人間でいられるのか、些か疑問もある。
突然、大きな物音がしたので見に行くと、ロボット掃除機が段ボールストッカーに突進していた。落ちてきた紙ごみを頭に載せているのもそのままに、また別の障害物へと突っ込んでいく様を見て、掃除をしているのか散らかしているのか分からないなと苦笑する。まだすこし、考える猶予はあるのかもしれない。
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