4月20日(木)
最後に孤独を感じたのはいつだろう。ひとり暮らしをしていた頃は、うっすらとした孤独が常に氷の膜のように張っていたのに、最近めっきり見なくなってしまった。結婚してからというもの、雪解けを迎えた春のように感情は豊かになって、笑ったり怒ったりするのに毎日忙しい。それをとても幸せなことだと思う反面、孤独というひとつの感情を失ってしまったような気もする。
そういえば、実家にいた時もこんな得体の知れない不安感を抱いていた。孤独を感じる隙もないほどに賑やかで、ありきたりな幸福に満ち満ちていて息が詰まりそうだった。自分がどれだけ恵まれているのか理解していて、それに感謝をしていながらも、自分だけの、特別な何かをずっと欲していた。何不自由無い生活を与えられているのに、飢えと渇きに似た苦しさがあった。
ひとり暮らしの頃はといえば、しばしばすべてのことがどうでも良くなって、3度の飯もまともに用意できなかった。とても自分を大切にしているとは言えない生活だったと思う。決して楽なことばかりではなかったし、ずっと踏ん張って立っているような気分だった。それでも、なぜか眠れぬ夜は月が輝いていて、胸が満たされるような充実感があった。孤独でありながらも、世界のすべての孤独と共にあるような、表現しがたい親しみを感じていた。私は孤独を愛しているのだと思った。
どれだけの幸福を手にしても、人は失ったものの数を数えてしまうものなのだろうか。自分の欲の深さを改めて思い知らされているような気分になる。たしかに、あの頃の孤独を恋しく思う気持ちが、無いと言えば嘘になる。ただ、あの頃私を慰めていた孤独はもしかしたら、子どもだけが通れる魔法の国への扉のように、いつか閉じる時がくるものだったのかもしれない。そう思うことができるようになれたなら、美しい思い出として思い出すことこそすれ、戻りたいだとか再び手に入れたいなどと考えることは無くなるだろう。今はまだ、見えなくなった扉を探してしまうけれど、そのうち時がきたのだと、受け入れられる時もくるのだろう。
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