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おもかげ
犬より先に私が目を覚ます。灯りをつけることで、犬が眩しくないように、頭まで毛布をかけてやる。
その後珈琲豆を挽いて、コーヒーをいれる。自分用と仏壇用。コーヒーが好きすぎて胃潰瘍になったという伝説を持つ母を筆頭に、我が家は珈琲党員ばかり。祖父は酒、祖母は緑茶党だと思うけど、母が長女なため、我が家の仏間には、祖母祖父と母、父と遺影が並んでいる。遺影というものがあまり好きでは無いので、もっと自然な日常を撮った写真に置き換えようと考えている。
遺影…10年前に母が亡くなって以降、写真を撮る機会がさらに減って、父の遺影にすべき写真が無く…仕方なく母の葬儀の時の集合写真を引き伸ばしたものを父の遺影にしたんだけど、心底気落ちした悲しい表情をしている。見るたびに淋しさ悲しさが伝染してしまう写真なので、遺影の作り直しも考えたけど、なにも引き伸ばしたり、いかにもな遺影の額に入れなくてもいいのでは?と思い至った。いつか私が死んだらこの家の血筋が絶えるから、断捨離を進める過程で遺影を処分しても良いだろう。仏間の4人に聞いたとしても、「お前の好きにしなさい」と言ってくれると思う。
葬儀は時間と金の無駄と思う若者が増えているらしい。あれこれと儀式の準備や手続きに忙しくしている事で、悲しみと向き合いすぎずに緩衝材みたいになってくれたり、色々を受け入れる準備のために必要かもしれないと思って儀式をしたけど、しない方が気持ちがラク、とてもしたくない、そんな人はしなくて良いと思う。それこそ多様性。遺族の気持ちが第一で良いと思うんだ。だから遺影を片付けてもどうか誰にも責められませんように…。
いつか斎場などで、定型ではなくて意思を持って選んだであろう写真たてを持っているご遺族を見かけることがあったら、羨ましく思ってしまうかも…。小さい写真を不自然に拡大しなくても、故人は各々の記憶に存在するのだから。