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収穫

もうずっとふて寝をしているような暮らしだったけど、それにも飽きてきたので、起き上がった。そんな感じ。比喩じゃなく本当に寝て過ごすことが多かった。寝転がってスマホを見たりタブレットでドラマや映画を見ていた。切って混ぜて焼く位の料理はしたけど、ご飯を炊いたのはこの2ヶ月弱で3回かな。まぁ生きて犬と自分にご飯をあげて、息をしているだけで自分としては満点。

起き上がって今日は庭に出た。我が家にはちょうど良い大きさの庭があり、ご近所の親しい方が菜園をしている。ご自由にお使いくださいと場所と水道を提供している。特権で時々収穫物を分けていただいている。今はささげ豆やナストマト、シシトウ、唐辛子がなっている。美味しそうな豆とトマトを採り、スープにした。そうしたら元気が出てきてスーパーへ。ストックの玉ねぎとかカルパッチョにしたい帆立や無調整豆乳、鶏肉やチーズ、グリークヨーグルトなどを買う。スープに飽きる頃にラペにしようとニンジンも買った。

美味しそうで美しいね


何をしようか?って途方に暮れがちだけど、こうやって今まで普通な時にしていたのと同じことをしてみるのが良いかも。作り笑顔をしているうちに元気が出てくるみたいに、普段の真似事をしているうちに、普段みたいに平気に過ごせるかもしれない。

昨夜は急に寂しさが発作のように訪れて、呼吸が浅くなるようなことが何度かあった。夕暮れ時もとても苦手で、早くからカーテンを締め切って灯りをつけている。でもそれほど深刻に考えてはいない。世間一般と比べて悲しみすぎ、寂しがりすぎ、暗すぎだとしてもだ、それはそれ。これは事実だし比べることがナンセンス。私は普通に弱い人間だし、家族の死を普通に悲しんでる。普通って言葉は良いおまじないだ。今の私にはよく効く。私は普通。

来週は四十九日があり、その日に納骨する。以前の宣言通り誰も呼ばず、お坊さんにお教をあげていただいて、お骨を納めてくる。何度も年末くらいまで家においておこうかと考えた。ちなみに母の時は半年以上家に置いていた。さようならが言えなくて。今回は大丈夫。母がいるから父は寂しくない。どうしたって私は寂しいけど。

強がらずに自分の寂しさを認めて、その気持ちから逃げたり向き合ったりしているうちに、良いことだけ記憶に残り、笑うことが増えていくのを知ってる。だから大丈夫。普通だし大丈夫。

今これを読んでいる人が悩んだり苦しんでいたり、羨んだり、もがいたりしているなら言ってあげたい。「大丈夫、あなたは大丈夫だし、それで普通だよ」って。

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