事実は小説より奇なり
父が亡くなった日の話を。
コロナ陽性と診断された日を0日目とすると、4日目に父が危篤となり、5日目に亡くなった。そういう経緯で面会を遠慮していたが、うつるなら発症前から危険性はあったはずだし、そんな場合ではないのでと面会に来るように勧められて、泣きそうな気持ちで病院へ。
何もかもがうつろで、中途半端で、ぼんやりとモヤがかかっているような、自分ごとではなく、映画でも観ているような感覚。足取りもおぼつかない。今振り返っても、良くぞ事故もせず街中を運転して往復を繰り返したなと思う。
苦しそうな父を見ると自然と手が伸び手を握り、だるそうにしている脚をさすった。自然とそんな風にできたのも、病中でぼんやりしていたからなのかもと思うと、それもアリだったかなどと思う。
さいごの瞬間には立ち会えず、犬の様子を見に帰宅していた時に行ってしまった。
事前に連絡しておいた方に連絡をとる。母の葬儀の時に知り合った仕出し料理の会社の方で、母の死後のバタバタでろくに食べていない時に飲んだお味噌汁がとてもとても美味しくて、やたらと記憶に残っていた。その方に数日前に連絡していたのだ。こんなことになる予感があったからなのか、お名刺を大切に仕舞っていた。状況をしらせて、葬儀をお願いできないかと相談していたのだ。ありがたいことに快諾して頂いていた。本当に良くしていただいて、誰よりも頼りにしていたし、安心してお任せしていた。
約2ヶ月ぶりに父が家に戻ってきて、親族もやってきた。父のさいごをみてくれた叔母が連絡してくれたのだろう。
バタバタと翌日の通夜やあれこれを決めてゆく。小さい葬儀にする、これは父の希望でもあり、ずっと帰りたい帰りたいと帰宅を望んでいた父を家から送り出したい私の希望でもあったし、何より喪主である私の体調のこともあり、叔父叔母のみに参加してもらい、従兄弟たち等は呼ばない旨を伝え。
そして恐る恐る、でもはっきりとお酒は出さないことを伝えると空気が震えた。何だと?酒を出して貰えないなら、持ってくればいいんだな?と言われる。誰もそれを止めない。飲まないと葬儀じゃないらしい。「ろくにお構いもできない」旨を伝えるも、お前は寝ていれば良いと。
ならば通夜に来てくれなくて良いと、買い言葉で口から出た。そして思い直す。父を含めこの年代の人は絶対こうなったら自分の意見を曲げない。
通夜の夜は先に休ませてもらうことと、寝ずの線香番は不要なことを伝えて、ぐだぐだのままその日は解散。
通夜の日は、仏間に作られた祭壇に供える果物やお菓子を買ってから来てくれると言う叔母に、皆が飲む酒も買ってきてくれるように後からお願いした。
通夜の宴会は4時間も続いた。暑い暑いとみんなが言っていたけど、私は寒くて震えが止まらなかった。横になっても眠りは浅く途切れ途切れで、まだ終わらない、まだ帰らない、と階下からの騒ぎを背中で聞いていた。
やっと解散ご帰宅頂いたが、案の定泥酔した叔父から、あとはお前が早く良い相手を見つけてしっかりしろと言われる。安い、この安すぎる映画みたいな流れに笑いそうになる。ここに書けない汚い言葉で心が洪水をおこす。拗らせずにさっさと終わりにさせるには、にこにこして反論しないことだと学習していたのでそうする。
マナーのなっていない情けないお年寄りの宴会の翌朝は、家の外に散らばったタバコの吸い殻を拾うことから始まった。また汚い言葉が洪水のように溢れた。今日の告別式が終わるまでの辛抱だから…と色々を堪える。
終わった。やっと解放される。儀式を終えて帰宅してほっとした。四十九日はいつだ…?どの叔父か忘れたけど誰かが言った。「四十九日は1人でやりますので…来てもらっては困ります」とはっきりと言葉にした。我慢も限界だったし、それくらいの拒否権は私にあると思った。喪主だし。
納得いかないような表情の面々も昨晩の深酒がまだ抜けず本調子ではないようで、いつもの勢いで反撃されることもなく、ご帰宅いただけた。
しかし、初七日には全員集合されてしまった。お坊さんが帰られたあと、また酒を出せとは言われることはなさそうだったけれど、帰るそぶりがない叔父叔母に、「もうずっと具合が悪くて回復しないので、今から病院へ行くのだ」と説明し、立ち上がらせ、強制的に解散させた。叔父叔母から見たら至らない姪だろう。あちらもたくさんの言葉を飲み込んで、無礼な私に腹も立っただろう。反省も含めて色々後からやるんで、ちょっと一旦勘弁して下さいという気持ちだった。
宣言通り病院へ行き、家族で世話になっていたかかりつけ医に父の死と葬儀の終了と、不調が治らないと伝えてお薬をもらう。気づくと猫背で俯いて、肩が内巻きになり体が痛いことも伝えたら湿布も貰って背中をさすってくれた。
親戚よりお医者さんが優しいなんて。現実は厳しい、生きることは簡単じゃないと猛烈に突きつけられた気がする。でも大丈夫。頼りにならない、してはいけない人もいるけど、頼る相手を間違えず、できれば人をあてにせずに、自分で自分を支えて応援して生きて行こうと決めた。
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