ツナガリ相談室、朝の風景。

※これは、サカズキミチルさんの映画部原案『ツナガリ相談室』に登場する二人の先生の朝の会話を勝手に妄想してみた会話劇のようなもの、です。
会話を成立させるために足したエピソードが多々ありますが、そのあたりは全て仮設定として読んで頂ければと思います。
(もちろんご本人の許可は頂いております。書かせてくださったサカズキさんに、改めてお礼申し上げます)

それでは以下、本文となります。

相談室の受付嬢――お名前が出ていなかったので仮にミチルさんとさせて頂きます――が見た、ある朝のおはなし。

 ***

カタン。
相談室のドアを開ける音に、ふたつの人影が動く。

「ん」
「おや」
「あ」

最初の二言は、この相談室の名コンビ、カリタ先生とツナシマ先生。
そして最後が、時計を見間違えて一時間早く出勤してしまった私の発言。

「ミチルさん、今日は随分と早いんですね」
少し大きめの白衣を羽織りながらツナシマ先生が微笑む。
「大方、時計でも見間違えたんだろう?違うかい、ミチルさん」
デスクに肘をついたままで、カリタ先生がニヤリと笑う。
「うぐ、仰る通りです。それにしても先生方、いつもこんなにお早いんですか?」

私の通常の出勤時間は、開院の一時間前。
普段から、私が到着する頃には二人とも準備を済ませているので、出勤が早いのは知っていたけれど。

「ああ、いつも通りだよ」
「僕たちは、いつもミチルさんより一時間くらい早く来ているんですよ」
「そうだったんですか」
「私たちは準備があるからね。――いろいろと」

何かを含んだような言い方が気になった。

「…あの、もしかして、お邪魔でしたか」
おずおずと、切り出す。
一瞬キョトンとしたカリタ先生が、見る間に不機嫌な顔になった。
「あのなあ」
ガシガシと頭を掻きながら、不服そうな声で続ける。
「私にも好みというものがあるんだよ。
 妻子持ちのせせこましい男と朝から密会するくらいなら、私はミチルさん とお花畑に出向きたいね」

…直球すぎる。

「そうですね、僕にも好みはありますしね。
 でもカリタ先生、ユリの花粉は苦手って言ってませんでしたっけ」
「ああ、そうだった。失念していた」
「じゃあバラの方がいいんじゃないですか」
「うん、バラは好きだな。華やかで美しい。たまには良い事言うじゃないで すか、ツナシマ先生」

何故その二種に絞ったんですかお二方。

「ま、そういうわけでだ」
「どういうわけですか…」
「ミチルさんが気をまわす様なことは何もないってわけさ」
「ああ、それはよくわかりました」
「じゃあ、誤解がとけたところで、僕たちは準備に戻りましょうか」

そうだった。
この二人は、いつも通りに出勤してこの時間にいるのだ。
余計な気を回してあれこれする方が邪魔になる。

「ミチルさん、時計を見間違えたという事は、今朝は慌てて準備したんじゃ ないですか?
 いつもの時間にいてくれればいいんですから、それまではどうぞ自由にし ていてくださいね。
 朝食を摂る時間はありましたか?」

にっこりと、ツナシマ先生が穏やかに言う。
この笑顔だけで、このひとは不思議と相手の警戒を解いてしまう。
カウンセラーは天職なのかもしれない。

「お察しの通り、大慌てでした。
 朝食の事なんてすっかり忘れてましたよ」

肩をすくめて答えると、ふふ、と笑ってから、先生は付け加えた。

「それじゃ、勤務時間までゆっくりしていてくださいね。
 外出ももちろん構いませんからね」
「はい、ありがとうございます。
 でもせっかく早く来ましたし、もし何かご用があれば言ってください」
「ええ、そうさせてもらいます。
 どうもありがとう」
「あ、じゃあひとついいかい、ミチルさん」

受付へ戻ろうとした私を、カリタ先生の声が引き止める。

「はい、なんでしょう」
「ミチルさんの業務は、いつもの時間に始めてくれるかい。
 早く来たからと言う理由で、早い時間に仕事を始めるのは遠慮してくれ」

いつもの私の仕事。
出勤して、準備を『終えた』先生方に、今日の患者さんのファイルを渡すこと。

一日一人、という変わった診察形式のため、朝にファイルを読み、その日一日をその患者さんのためだけに使う、という心構えの意味も含めてそうしていると、前に聞いた。
つまり、準備を終える前に患者さんの情報を得るというのが本意ではないのだろう。

「わかりました、業務はいつも通りの時間に始めます」
「ありがとう、助かるよ」

確かに、バタバタ準備して少し疲れている。
あとで、飲み物でも買ってこよう。
そう思いながら、再度私は受付へ足を向けた。

 ・

自販機で買ってきたいちごミルクを飲みながら、ふう、と一息つく。
業務開始まで、ゆうにあと30分はある。
しかしながらやることもないので、いつもならば味わえない朝の空気を、のんびりと楽しむ事にした。
受付に座っていれば先生二人の声は筒抜けなのだが、会話を聞くなとは言われていない。
もしかしたら用事を頼まれるかもしれないし、外でお洒落にモーニング、というにはさすがに時間が足りない。

だいたい、近所にこじゃれたカフェとかないしね、この辺。

そんな事を考えながら呆けていると、カリタ先生の声が聞こえた。

「コーヒー」

はい?
一瞬、自分に言われたのかとドキリとした。
が、どうやらそうではないようだった。

「ああ、はい」

すぐに答えるツナシマ先生。
いやいや、ちょっと、ちょっと待って。

立場的にはツナシマ先生の方が上だ。
年齢的にとかそういうことでなく、彼はああ見えて認知行動療法の権威と言っていい。
カリタ先生だってもちろん優秀さでは引けを取らないけれど、いくらなんでもそのやり取りは。

受付でひとりハラハラしながら、そっと後ろを見る。

二人が座る、会議室兼待機室兼休憩室は、受付の後方に位置する。
ガラス窓を挟んでいるとはいえ、至って普通のガラスなわけで、振り返れば丸見えなのだ。

私の心配を余所に、席を立っていたのはカリタ先生だった。

ああ、そういうことか。

どうもこのふたりは、会話をする際に言葉が足りない。
当人同士は通じているから良いのだろうが、通じないこちらとしては聞いていてヒヤヒヤする。
焼き鳥屋でも、何度肝を冷やしたことか。

カリタ先生は、手馴れた様子でコーヒーメーカーを操作している。
横には、マグカップがふたつ。
さっきの『コーヒー』という単語は、コーヒー飲みますか、とか、飲みましょう、とか、そんな意図だったらしい。

コーヒーの準備を終えたカリタ先生が、据付の冷蔵庫に移動し、中を覗くと同時に、あ、と発した。
その声に、ああ、とツナシマ先生が腰を上げる。

…なんなんだ、このひとたち。
会話をしていないのに、会話している。

むぅ、と首を傾げながらいちごミルクをすする私に、ツナシマ先生が声をかけてきた。

「ちょっと買い物に行って来ます。
 ついでですから、何か買ってきましょうか」
「あ、いえ、大丈夫です。
 買い物なら私が行きましょうか?」
「いやいや、僕の買い物ですからいいんですよ。
 むしろ、勤務中にこっそりコンビニに行く事の口止め料ということで、何 かお好みのものを買ってきますよ」
準備中じゃなかったのか、と突っ込みたかったが、いちごミルクとともに飲み込んだ。
そもそも本人が勤務中と言っている。

「じゃあ、米」
「米っ!?」
カリタ先生がいつの間にかこちらへ来ていた。
素っ頓狂な私の声が、短い廊下に響く。
「家の米びつが空っぽだったのを今思い出したんだ。
 なのでツナシマ先生、米」
「それは一大事ですね。はい、お米ね」

よろしく、と付け加えて、カリタ先生は戻って行った。
うん、やっぱり、このふたりはよくわからない。

 ・

「戻りました」
十分ほどして、ツナシマ先生がコンビニ袋を片手に歩いてきた。
「おかえりなさい」
迎えた私に、袋を探って手早く何かを渡す。
「えと、これ、は?」
「お土産です」
ニコッと笑って、彼は後方の部屋へ向かう。

「カリタ先生、戻りましたよ」
「とっくにドリップが終わりましたが」
「はは、すみません。
 お米がなかなか見つからなくてね」
ほんとうに買ってきたのかと、思わず振り向く。
目に入ったのは、私に渡したお土産と同じものをカリタ先生に手渡すツナシマ先生だった。

「…家の米びつには小さいですねえ」
「でも、カフェオレにはそちらの方が合うでしょう」
「それはそうだ。うん、良しとしましょう」
コーヒーメーカーの横に置かれたコンビニ袋から、カリタ先生は確認するように牛乳を取り出した。
うんうん、と納得しながら、並んだマグカップの列へ追加する。
そして片方のマグカップを取り上げ、ゆっくりとコーヒーを注いだ。
色合いからして、そちらがツナシマ先生専用なのだろう。
「どうぞ」
湯気の立ったカップが、カリタ先生の手からツナシマ先生の手へ渡る。
「ありがとうございます」
香りを楽しんだ後、ひとくち、口を付けて――呟く。
「苦いですね」
「そうでしょうね」
もうひとつのカップにコーヒーを注ぎながら、カリタ先生はあっさり答える。
ツナシマ先生は満足そうに、ふたくちめを味わっていた。

今度は未開封の牛乳を手に取ったカリタ先生が、思い出したように私の方へ来る。
「ミチルさんも飲むかい、コーヒー」
「え、いいんですか?」
「誰かさんのせいで少し温いけどね」
「ふふ、じゃあ、頂こうかな」
「では、ミチルさんのお好みを伺おう。
 砂糖とかミルクとかの注文があるなら、可愛らしくて嬉しいね」
「ブラックでも大丈夫ですけれど、あるならお願いしたいです。
 お砂糖とミルク、両方」
「もちろんあるとも。
 私はとびきり甘いカフェオレにしないと飲めないからね」
「意外ですね」
「普段はそんなことはないさ。
 ただ、ここで淹れるコーヒーはとびきり苦いんだよ」
ちなみに、とカリタ先生は続ける。
「それにはカフェオレが合うそうだ」
指差す先には、さっきのお土産。
よく見れば、パッケージに『米粉ドーナツ』と書いてある。
「じゃあ私も、カリタ先生と同じカフェオレを」
「承った」
ぱたぱたと部屋に戻るカリタ先生を見ながら、笑いがこみあげる。

さすが、名コンビ。

 ・

もちもちの米粉ドーナツを味わい、苦味と甘味がせめぎ合うカフェオレを飲みながら、二人の会話に耳を傾ける。
勤務時間まで、あと十数分というところだ。

「ところでカリタ先生、さっきから気になっていたんですが」
「なんですかツナシマ先生」
「せせこましい、はちょっと納得がいきません」
「じゃあ、甲斐甲斐しい」
「ああ、そっちがいいですね」

今となっては、もうしばらくこの時間に身を委ねていたかった。
名コンビの会話は、途切れず、意味を成さず、小気味よく、面白い。

「ツナシマ先生、そんなもの飲み続けてたら、絶対いつか胃を壊しますよ」
「うーん、でもねえ、甘いのは苦手なんですよ」
「奥様の趣味ってお菓子作りでしたよね」
「ええ、妻が作るのは食べますよ」
「惚気ですか」
「違いますよ」
「厭味ですか」
「違いますね」
「健気ですね」
「そうでしょうか」
「娘さんのは?
 奥様と一緒に、最近は作るんでしょう」
「ええ。
 でも娘のは、本の通りに作るように妻が言っているので甘いんですよ」
「じゃあ食べないんですか」
「いえ、食べますよ」
「頑張り屋さんですね」
「突っ返すわけにいかないでしょう」
「ヘタレですね」

出来るなら、爆笑してしまいたい。
堪え切れない笑いを、手で覆う。

「そういえばキョクたん、だんだんフランケンみたいになってきましたね」
「私たちの愛らしい教材になんてこと言うんですか」
「だってその左腕、また取れかかってるじゃないですか」
「こっちがわの腕、頑固なんですよ。
 どうも私の愛が伝わらない」
「腕の問題でしょう」
「そう、腕の問題です。
 いったい何が不満なんでしょうね、キョクたんは」
「そのうち動き出すんじゃないですか?
 ありましたよね、継ぎ接ぎの女の子が出てくるクレイアニメ」
「詳しいですね」
「娘が好きなんですよ、あの映画」
「いい趣味だ。
 さすがツナシマ先生の娘さんだ」
「タイトルが長くて覚えられないんですけどね」
「痴呆ですか」
「女の子の名前は覚えてますよ。
 サリーですよね」
「キョクたんがああなると?」
「ええ、このままだといずれ意思を持ちそうです」
「それは願ったり叶ったりだ。
 たしかあの女の子、自分で腕を縫い直せるんですよね」
「行方不明になるかもしれませんよ」
「それはありえません」
「断言しましたね」
「しますとも。
 キョクたんにとってのジャックは私ですから、キョクたんはずっとここに います」
「カリタ先生にとってのジャックはどこにいるんでしょうねえ」
「ツナシマ先生」
「はい」
「コーヒー、お代わりありますよ」
「僕の胃を壊す気ですね」
「正解です」

さすがの私も、もう気付いていた。
この会話こそが、私が出勤する前に行われる『準備』なのだ。

人間関係に迷ってこの相談室を訪ねる患者さんは、この二人から様々な距離感を学ぶ。
その距離感を、自由自在に、近づいたり離れたり、寄り添ったり突き離したりするこの会話で、お互いに確認している。
すべては、これから来る患者さんのために。

そして、その『準備』を終える合図。

「おはようございます、今日の患者さんの資料です」
窓ガラスを軽くノックして、私はいつもの業務を開始した。

 ***

この文章が、『ツナガリ相談室』の魅力を一層引き出すきっかけになりますように。

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