【ショートショート】「最高の言葉」〜古蓮町物語シリーズ⑩〜
玄関で飼っている金魚。
子供神輿作りに出かけるとき、去年より数段大きくなったそいつは、心の底にある俺の大切な記憶を蘇らせた。
その子の名前は雪那。
去年の夏休みが始まった頃、俺たちはほぼ同じタイミングでこの町にやって来た。
「来たばかりで何もわかんねーんだよな」
俺が言った言葉に雪那はこう返した。
「私も来たばかり。一緒だね」
肩にかかりそうなサラサラした黒髪が揺れていた。黒目がちの笑顔が眩しかった。
その時、俺は勘違いしてしまったんだ。
これからずっとこの子がいるこの町で暮らせるんだと。
ドキドキした。
これからの生活が輝いて見えた。
雪那は都会っ子だった。田舎の暮らしに戸惑っているように見えた。
時代が逆行したようなこの町の雰囲気に、最初は俺も戸惑った。でもこれからずっと暮らす町だし、なるべく早く溶け込もうと思った。
自分のためにもそうすべきだし、俺が早く溶け込めば、雪那がなかなか慣れなくても引っ張っていける。
俺が橋渡しになるんだ。
そう思っていた。
『なぁ雪那、沢で遊ぼうぜ』
『肉屋さんのコロッケメッチャうまいから一緒に行こう』
『駄菓子屋さんに行かない?椅子があってそこで買ったもの食えるんだよ』
『夏祭りの子供神輿、集会所で作るんだって。一緒に行かねぇ?』
色々誘ってみたが、雪那はいつも首を横に振った。内気で人前にあまり出たがらない女の子だった。
でもある日、
「海に行かない?」
そう言ったら目を輝かせてうなずいた。
「この海を渡れば私がいた町に帰れるかなぁ」
遠く水平線を見ながら雪那はつぶやいた。
「何言ってるんだよ。この町だっていいところじゃん。もっと一緒に楽しもうよ」
「あのね……大和……」
「これからずっと住むところなんだからさ。いろいろなところに行こうよ」
「う……うん」
この時、どうして気付かなかったのだろう。
それから雪那は俺の誘いを受けてくれるようになった。
不慣れながらも、一生懸命楽しもうとしているのが分かった。
雪那なりに慣れようと努力している。
俺はそれが嬉しかった。
雪那と運命共同体でいることが嬉しかった。
……だけど、俺は事実を知ることになる。
夏祭りの日だった。
子供神輿を担いだあと、雪那と仲が良い女の子が言った。
「雪那ちゃんは夏休みの間この町にいるだけだよ」
後から知ったことだが、この町はたくさんの自然に囲まれ、昔ながらの生活をしていることから、それを体験させるために休みの期間だけ子供を預ける親が多いのだそうだ。
雪那もその1人だった。
「嘘だろ? 雪那、俺たち同じ境遇じゃなかったのかよ?」
雪那は下を向いて何も言わなかった。
「ずっと住むところだって言ったときに『うん』って言ったよな? 嘘だったのかよ!」
俺の言葉に雪那は下を向いたまま唇を噛んでいた。
「何度も言おうと思った。でも、大和の顔を見ると言えなかった……ゴメン」
「は?なんだよ、それ?」
この時、俺は自分が寂しくてたまらない気持ちを怒りとしてぶつけてしまった。
もっと一緒にいたい気持ちを、その場から走り去ることで表してしまった。
何かを言いかけた雪那に対して「うるせぇ!」と言い残して。
夕日が空を赤く染めた頃、俺は一人海にいた。
祭りのお囃子も喧騒も聞こえない。
日中の暑さが一段落したそこには、波の音だけが響いていた。
もうすぐ夏休みは終わる。
雪那に会えなくなる。
それなのに、どうして俺はこんな所にいるんだろう。
『夏祭り、一緒に行こうぜ』
そう声をかけた時、喜んでいた雪那。
『うん、行こう!ねぇ大和、金魚すくいで金魚をとってほしいな』
両手を合わせて上目遣いで見る雪那に、俺はドキッとした。
『しょ……しょうがねぇな。とってやるよ』
……そうだ。
こんなことをしている場合じゃない。
意地張って拗ねている場合じゃない。
俺は夏祭り会場の神社へ向けて駆け出した。
走りながら今までのことが頭をよぎる。
俺の誘いを断るとき、いつも雪那は何かを言おうとしていた。言い訳だと思って、
『あ、いいよいいよ』
と、俺はわざと言葉を被せた。
一緒に海に行った日もそうだった。
何か言おうとしているのに、自分の気持ちばかりベラベラ喋って……。
いつも俺に話そうとしていたんだ。
夏休みの間しかいないことを。
ずっと住むわけではないことを。
それなのに俺は……。
神社に着いたとき、雪那の姿はなかった。
嫌な予感がして、俺は雪那のおばさん家に行った。
「雪那ちゃん? お父さんが迎えに来てね、さっき帰ったよ。大和くんが来たらこれ渡してって」
右手にぶら下げた金魚がゆらゆら揺れていた。
※
「やまちゃん、なにボーッとしてるの?」
みーちゃんの声で我に返った。
「お神輿早く作らないと間に合わないよ」
「お、おう、わかってるよ」
全然性格は違うけど、みーちゃんは何となく雪那に似ている。
「よおし!気合い入れていくぞ!」
笑顔でみーちゃんを促した。
「やまちゃん、そうこなくっちゃ」
みーちゃんも笑顔で返す。
帰り道、太陽が沈んで一番星が輝いたとき、俺は心の中で祈った。
『神様、いつか雪那に会ったとき、俺に……笑顔をください』
俺も雪那も変わっているかもしれない。
でも、笑顔は時を超えて通じ合える最高の言葉だと思うから。