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昭和の京都 カレーの私的事情

 昭和と言っても40~60年代は丁度 私の学生時代と働き出した頃
カレーにハマった。皆さんもそれぞれの育った土地で思い出の「カレー」があるような気がする。大阪人ならダルニーのカレーとか梅田のピッコロかもしれない 神戸っ子ならゲイロードやオリエンタルホテルかもしれないし,
東京なら資生堂パーラー中村屋カリー 名も無き神田の蕎麦屋かもしれない
 勿論、家の母親カレーから学食、洋食屋、ホテルのレストラン そしてインド人が作るカレーまでカレーと名の付くあの熱くて辛くて黄色い ….つまりカレーは最早ラーメン同様に国民的「日本食」と言える。
 ラーメンブーム、白いたい焼き、デコったパンケーキ、生食パンに続き数年前から「スパイスカレー」と名乗るカレーが雑誌に特集が載るようなブームである、仕掛け人が居るのかもしれないが。 
 わたし的には入手の難しかったホールのスパイスや生のハーブまでお隣の大阪に行けば手に入る喜ばしい副作用である。

レストラン・ジャワのジャワカレー

 思うのだが京都のカレーは「昔は どうだったんでしょう」と。
当時 (70~80年代) の普通の京都人なら、本格的な専門店のカレーを食べたいなら「レストラン・ジャワ」のジャワカレー という意見がほとんどだった
 「ジャワ」は果たして「インド (つまりカレーの本家」なのか とは思わないようだった、まぁインドネシアと知っていても「どっちも似たようなもんやんか」ぐらいの大雑把な認識だったと思う(今でもそうかも知れんが

 ジャワカレーの「レストラン・ジャワ」は南方帰りの店主が現地の料理を参考に戦後間もない昭和22年に河原町に創業し、70年大阪万博の頃には市内に4店、大阪に1店あった。特に四条大丸の店は四条通りに面した地下入口に 「イノダコーヒー」と「ジャワカレー」の看板が上がっていて京都人なら憶えている人も多いかもしれない。百貨店に店があるのはそれなりの銘店と思われていた時代である。
京都には「インド人シェフのインドカレー タンドール料理」が出来るのはかなり遅く「カレーの真実」を追求していた私には不自由だった、一方繁華街には、ジャワの他、ガルダ、バルーとインドネシア系のエスニック店が出現しよく似た無国籍系とかも流行りだした しかしインド人は京都が嫌いなのか宗旨が違うのかお店は中々出来なかった。また変わり種では世界一辛いを謳った「白いインカカレー」の森繁もあった。
(インカにカレーが… 有るのかい?無いのかい どっちなんだい とか野暮は言わないでもらいたい ロシアのおじさんがパルナスのピロシキはロシアよりまだ旨いとTVコマーシャルしていた時代である  
….. いちいち言う事が古い しかも関西ローカル放送ですし)

カレーといえばジャワのカレー 
 京都市民なら誰しもそんな風にずっと思っていたのが80年代まで続く
そんな「レストラン・ジャワ」だが、90年代の何処かで姿を消した。
30年以上経った令和の今でも、そんな消えたジャワカレーの味を探してレストラン・ジャワ出身のコックがカレーを出す店を訪ねる人もいる。
 動画はそんな「レストラン・ジャワのお土産贈答用カレーの缶詰」を記憶を頼りに再現してみた。この世の何処かに「ジャワのカレーの缶詰」を探している人がいるかもしれない(居ないです

因みにハウス食品のジャワカレーは1968年(昭和43年)発売で 1963年発売の
「りんごと蜂蜜とろ~り溶けてる」ので秀樹が感激したバーモントカレーと並び 今もリニューアルを繰り返しているベストセラーである。
(合衆国バーモント州住民が蜂蜜カレーを習慣的に食べてる事実はない。

   これを読んで妙にカレースイッチが入ってもそれは自己責任でどうぞ
 



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