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河原町のジュリー 2022

河原町のジュリーが2022年の河原町を歩いていたら …              

四条河原町は京都市の唯一の繫華街で70~90年代、学生時代と就職してからも毎週のように頻繁に歩き回った。今でも時々出かける。 
その頃の寺町電機街は、家電以外にステレオ・オーディオコンポに、ヒエン堂とかタニヤマムセンに電気部品もあって元気だったし、何よりも河原町には本屋が揃っていた、輸入盤のレコードも何軒かあった。つまり色々物色 はしごしていた。(ここで不足なら電車で大阪まで行かねばならないのは今も同じである。
 そんな昼間の河原町を歩いていると、しばしば独特の風貌の汚い浮浪者に出くわす事になった。それが河原町のジュリー 

 そんな渾名が着いている事を兄から聞いたのは 見て暫くしてからだった中々うまく付けたものだと思った。 いわゆる基地外の人としか思えなかったが狂暴なタイプではなく無言であるいは呟きながら、独特の摺り足で ( 近寄ってくると シュッ シュッ と足音がする) 舗道を移動していた 道行く人は、最低でも2mほど遠巻きにして誰も敢えて近寄らないし、人が混んだ舗道で後ろから彼が近づいてくるのを察すると皆、離れようと無言でサッと逃げていた。
もちろん「臭くて 汚い」からである。これを「悠然と歩く」とか
「皆が一目置いている 商店街も受容している」ように形容するのは ….
とは言え商店街から排除すべく何らかの行動をされた訳でもないようだった

つまり70年代の末期頃から 河原町の三条から四条間で 或いは四条通りの河原町から寺町間で昼間によく見かける特異な存在だった。
よく言って「変人奇人」 普通に言って「汚い乞食?残飯をあさる浮浪者」
わしらには「雲古ヘアーの河原町のジュリー」という存在になった。
「昨日、レコード探しに行ったら おったわ河原町のジュリーが」と友達に言っても「ふうん そうか まだいるんか~」くらいの扱いになって
いちいち説明しなくても認知されていた。

 
  

そんなジュリーの姿をしばらく見ない時期があった 
居なくなったのかな 死んだとか?と それを話題にすると
「京都駅の方の病院に居るらしいで」と真偽不明の情報を聞いた
どうやら本当だったらしく 暫くしてまた河原町を例の摺り足で歩いている姿を見た。 

いつの間にか現れたように 
いつの間にか彼の姿を見なくなった 居たのは4,5年間か 1980年代前半に四条河原町をよく歩いていた京都人ならまず知らない人はいない 
当時は丁度DCブランドとかマハラジャとか清里原宿とかの時代でもあった。

 最近、彼の本も出たらしく、本屋でけっこう目立つ所に置いてあったので売れているのかも知れない。
動画は3年前 (2022) に作ったスライドだか 彼の独特の摺り足は再現できた生きていたら令和7年の今なら 107歳になる。

入院の辺りの事情は note で他の人が詳しく書いていて 私の記憶と一致している 興味のある人は探してみては

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