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関西と東京の笑い 1
上方演芸(お笑い)と言うジャンルがある。大阪がその中心で
関西とか京阪神と一括りにいわれる地域でシームレスに支持されている
主としてお笑いを演じるプロの芸人芸風を言う。
注意してほしいのは「関東人」等とはふつう言わないが、大阪を中心として隣の京都と神戸つまり京阪神の別名として「関西、関西人、関西弁、関西風上方等々」は普通、そこに住んでいる人でも「三つの別の都市」を特段に意識的に区別しないで使う、ほぼ同じ文化圏、風土の地域と思っている。
京阪神の喋り方でもさしたる違いはない「ヒョウ柄のおばちゃんでっせー」とか「八つ橋どないどす」とか「ダボ いねや」とか誇張して方言を茶化したりする事はあっても、友人内でわざと意図的に使うくらいである。
つまり 首都圏の人が関西弁を聞いて著しい違和感を感じる ような話声の違いは京阪神間には無い。(私は京都の人間であります)
ーーーー 余談 ーーーー
標準語を話す首都圏に関西人が行って話すと「暴力団みたいで怖~い」と聞こえるそうです、特にご近所の若いママさんに評判が悪い。悲しいです
そうかと思えば「漫才師みたく面白いけど こいつとは真面目な話はできない」とも言われたりします これもアイデンティティー・クライシスです
ここはひとつ、民族固有言語の多様性を尊重して欲しいと思います
無理ですか(….ムリですな 理性より生理反応の方が優先するもの
お前は吉本にでも行くつもりか
これは京阪神での日常会話で
「そんなふざける様な事をするのなら お前は…」と非難したり諫めたりする時の常套句 つまり「怒られている」 が激怒まではされていない、まだ「お前なァ 漫才師にでもなったら」と諫める方にも余裕がある。
上方演芸とか大阪の笑いと言った場合 今日では吉本興業と同義と言える
京阪神以外の国民の皆さん つまり残りの1億2千万人ほどの日本人にもテレビでお馴染みの吉本のお笑いタレントと思ってほぼ間違いない。
私は、テレビで目立ちゃーいいのよというあざとい風潮の今の勘違い吉本タレントは嫌いだが、昭和前半に風前の灯火であった上方落語を吉本が支えた事実もある。吉本が無かったら今の上方落語はないと思う。
ジャズ漫画の木川かえるも「花月」に出ていたし(….いちいち言う事が古い
(花月というのは吉本興業の定席・演芸場である)
東京のお笑い演芸との違い 浅草とか
「吉本興業の大坂お笑い」で普通に育ってきた私ら昭和のテレビ世代が東京の演芸・お笑いを見て違いを感じた事がある。それは
お江戸の方がバリエーションが豊かで関西には無いタイプがある。である
紙切り、動物ものまね、漫談、講談、次郎長浪曲、都々逸、手品、大喜利 更に「コント」と称する芸や芸名にコント何たらまで付いているアレである 落語では真打とか言ってるし(上方落語では聞かない 格好いい !
吉本のつまり関西上方のパターンでは
しゃべくり漫才、どつき漫才、歌謡漫才、浪曲漫才、落語、新喜劇 である
意外かもしれないが漫談は関東の芸で関西ではこのスタイルはまず見ない。
運が良ければ「木川かえる」が出てくる(きた) 演芸史上、唯一無二の後継者の居ない「関西では珍しい一人でやる芸」その名はジャズ漫画
その後の地味な研究で、どうやら東京のお笑いやは浅草の風俗興行とか
ストリップ劇場の幕間や軽演劇カジノ・フォーリーやらが土壌とすれば
上方の芸風とは違う東京の「コントや漫談」が説明できそう と思い至る
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時代劇でタップダンス
なぜ、タケシの時代劇映画で突然タップダンスが…唐突では と評判が悪かったが、先人の獅子てんや・瀬戸わんやの下駄タップダンスや更に遡って浅草芸人へのオマージュを読み取れない人がいるものだと思った。
個人的には東京のお笑い芸人で忘れられないのは
さいざ~んす!のトニー谷である。スタイルとしては一人で舞台に立つ漫談ではあるが (コンビを組める芸ではない) リミッターが壊れたような狂気を醸し出していた。密かにこの路線継承を期待していた北野武もあの領域は目指さずに 丸く文化人になったのは残念である。勿論、関西にもあのレベルの芸人は居ない。
全て私の個人的考えで、定説でもないし異論はあって当然と思うが
一応、次に続く