核武装とかいうリアリズム(笑)
ウクライナの市民は、いまだ頑強に露軍への抵抗を続けています。
ウクライナがどうすべきかはウクライナの人が決めること。戦うもやめるも、ウクライナの人が決めるべきですし、そうであればこそ尊い。我々としてはそのウクライナ市民の決断と決定ーーそれは自己決定権そのものでしょうーーを、見つめ寄り添うのみ。
然るに、なぜか日本では奇妙な現象が見られます。右にも左にも「ウクライナの市民はもう抵抗するな」と言いたがる人がいるんですよね。で、俯瞰してみるにその左右分配は量的にほぼ同じ。だいたい同じ規模。
右側の代表例といえば、橋下徹さんでしょう。なんか知らんけどずっと「ウクライナ人は国を捨てて逃げろ逃げろ」と言っています。まあアホなんでしょうね。つーか、橋下さんの場合「自己責任好きの自己決定権嫌い」というファシストの典型的な反応の発露なんでしょう。で、橋下徹さんの影に隠れてあんまり目立ちませんが、ネットにも「ウクライナ、もう無駄な抵抗をやめろ」とか言ってる、自称保守の人は沢山います。めちゃくちゃいる。で、だいたい「それがリアリズムだ」ってドヤってます。馬鹿じゃねーの。
左側の代表例…を探してみたんですが、有名人であんまりいない。玉川さんかなと思ったけども玉川さん別に左翼でもなんでもないしね。まあきっと狭義の左翼の著名人が「ウクライナは抵抗をやめろ」とあまり言わないのは、日本共産党が、放送コードギリギリの言葉を使ってプーチンとロシアを口汚く罵り続けているからってこともあるんでしょうな。さすが日本共産党。そこら辺はハードコアです。
「日本の古き良き左翼」の典型例は、宇都宮健児さんのこのツイートでしょうな。別に宇都宮さんは共産党の人ではないけどもね。
実に素晴らしい。「ザ・日本のオールド左翼」って感じ。かっこいい。
しかしネットにはいる。「ウクライナ人は戦うのをやめろ」という自称リベラルが、うじゃうじゃいる。超きもい。お前ら普段、自己決定権に基づいて人権議論しとったやないか。なんでウクライナの人の自己決定権に踏み込んどんねん。それにお前ら、「ウクライナがロシアに抵抗するから無駄に市民が死ぬ」って議論、そのまんま「蒋介石が大日本帝国に抵抗するから南京大虐殺も重慶爆撃もあったんだ」って言ってるのと同じだと気づかんのかよ、馬鹿野郎。
こう考えてみると、おそらく日本にある「分断」とか「対立」って、「左右の分断」じゃないんですよ。適菜収さんがかつて言ってたように、「左右ではない。上下だ」って言葉の通りなんでしょうな。物事を考える癖がある人かどうかの違い。物事を考える習慣のない人は、橋下徹やネットの自称リベラルのようになるってだけのことなんでしょう。アホに左右の違いなんかありません。アホはアホです。
で、その「物事を考える習慣のない」代表例である橋下徹さんですが、物事を考える癖がないからか、誰よりも真っ先に、「核武装の議論を!」「核シェアリングを」って言い出しましてます。政党としての維新もそれに追随してます。「それがリアリズムだ」(ドヤっ)と。アホなんでしょうな。「リアリズム」は常に、アホの隠れ蓑です。だってリアリズムって、つまるところ「現状追認」と「強者への恭順」でしかないんですから。能力の低い人が自分の能力の低さを「能力が低い」という言葉ではない言葉で表現するために使う言葉が「リアリズム」です。
で、「核武装議論」は、実を言うと、橋下さんと安倍晋三さんの「核武装すべきだ」と発言した直後、すでに国会で「議論」されました。立憲民主党の田島麻衣子参議院議員が「核共有について議論するつもりはあるのか」と質問した3月2日の参議院予算委員会の質疑がそれです。岸田首相はこの質問に対し「非核三原則を堅持している立場や、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を基本とする法体系から認めるのは難しい」と答弁し「議論の余地はない」と言明しています。
議論としてはこれで終了。
岸田総理の答弁は、従来の政府見解を踏襲したものに過ぎません。しかし、ここで岸田首相があらためて原子力基本法を持ち出したことは注目に値するでしょう。岸田首相(岸田文雄という政治家のパーソナリティではなく首相という職責ね)からすれば、「お前ら、気楽に核武装とか核シェアリングとか言ってるけど、それ、安全保障とか外交だけの話ちゃうから。エネルギー政策から通商政策まで全部書き換えんといかんのだぞ。そんな仕事誰がすんねん。というか、そもそもそんなことやり出したら何年かかると思っとんねん。行政はオモチャちゃうねんぞ。」と言いたいのでしょう。その意味では、たとい安倍晋三や山本太郎みたいなキワモノの政治家が総理大臣でも、同じ答弁になっていたと思います。
だからこそ、僕は、安倍晋三の「核武装だ」発言が余計許せないんです。誰よりも長いこと内閣総理大臣やっときながら、「日本の原子力政策の難しさ」「原子力と核兵器をめぐる日米関係の微妙さ」を踏まえずこんなこと言えるとか、正気の沙汰じゃない。他の人が口に出すより、安倍晋三が口に出すのは数万倍、罪深い。
おそらく安倍晋三は、「核武装とか勇ましいことを言っておく方が、支持者が喜ぶ」ぐらいの勢いで言ってるんでしょう。実際います。「日本にも核武装が必要だ」とか言ってる市井の人は沢山います。老若男女分け隔てなくそんな人は沢山います。で、とりわけ質的に(量的にじゃないよ安倍の支持者、若い人の方が多いし)、気持ち悪さで目立つのは高齢者男性。核武装を唱える高齢者男性は、超必死になって目を血ばらして「核武装だ」とか言ってる。あれ、多分、核ミサイルが、自分の男根の代替だからなんでしょうな。機能しなくなった自分の男根の代替として核ミサイルとか崇め奉ってんでしょう。俺のはもうあかんけど、ミサイルはバキューんとズバーンといけと。 アホかと。
ってかね、よしんば日本が核武装して、抑止力になるんかよと。
核武装ってさ、総理が記者会見して「えー。今日から日本は核武装しました」って発表したら他国が「ぐぬぬ…日本も核武装しやがったか」で抑止力が生まれるわけじゃないのよ。北朝鮮みたいに、「核実験で、山一個、吹き飛ばす」映像を世界中に見せて「ほら、ね?」とドヤってみせないと意味がない。それ日本のどこでやるん?淡路島でも吹き飛ばす?上沼恵美子、怒ると思うよ? こういうと「ネバダ砂漠とかどこでもええから、アメリカの砂漠とか借りたらええねん」とか言い出す人いるんだけど、そんなにアメリカが日本の言うこと聞いてくれるのなら、自分とこの別に自前で核武装しなくても良くね?「日米安保の約束通り、なんかあったら頼んまっせ?」でええやんw
「しかし、日米安保は頼りにならない」とか言いたいんでしょ? いや、そう言うのは構わんよ。でもさ、そしたらこれまで「日米安保は日本の安全保障の要だ!」と言って、沖縄をはじめとする各地で米軍基地作って、米軍基地反対運動があったら「日本の安全保障を毀損する売国奴め!」と弾圧してきた過去をまず反省しようよ。お前らなんのために辺野古作ってきたん? 「頼りにならない日米安保」のために辺野古作ってるん?何それ?どんなプレイ?ドマゾにもほどがある。そんなんで喜ぶのなら五反田にでも行け。
「日米安保があっても非核三原則があるから日本域内に核兵器がないじゃないか!」とか言いたいんでしょ? 沖縄密約とかの話を傍に置いてその議論に乗っかると、その議論って、とりも直さず「今、日本は、アメリカの核の傘にいない」ってことなんでしょ?アメリカが「日本はアメリカの核の傘の範疇だ」というかどうかは別として、こういう議論をする人は、実質的に「日本は核の傘の外にいる」と言いたいわけよね? だから日本も自前の「核の傘」を作れと。つーことは、その路線は、日本が日本国内にいるIAEAの査察官の監視の目をかい潜ってプロトニウムを精錬して、核兵器開発して、淡路島でも吹き飛ばして核武装を高らかに宣言し、内外にその偉業を伝え、核兵器を量産し、ロシア=6300 中国=320 北朝鮮=30とかの核兵器と冷戦時代の標語である「恐怖の均衡」が取れるほど、核兵器を配備しようって言うわけでしょ? あのさ。そんなんできるん? 冷静になれよ。それに、そんなんし出したら、アメリカ=5,800の核兵器とも「恐怖の均衡」取らんといかんようになるよ? そこまで核武装した日本を、アメリカが「潜在敵国」と見做さないわけないじゃない。
「いや、だから、ニュークリアシェアリングだ」とか言いたいんでしょ? 確かに、NATO域内にはニュークリアシェアリングやってるとこあるよね。ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・トルコだっけ? これさ国名みたらわかると思うんだけど、「核武装しようと思ったらできる国」ばっかりよね。そこへアメリカが核兵器を「シェアしよう」つって置いてるわけ。な? これアメリカの意図としては「抑止力」ではなくて「核拡散防止」じゃねぇの?皆まで言わせんなよ恥ずかしい。それにさ、独・伊・白・蘭・土各国にあるアメリカの核兵器を、独・伊・白・蘭・土が、独自の判断で使えるん?使えないよね?使用するかどうかはアメリカが決める。コードも何もかもアメリカが持ってる。さらに言うと、独・伊・白・蘭・土にあるアメリカの核兵器は、航空機搭載型のいわば戦術核でしょ? ワルシャワ機構軍が1945年の赤軍よろしく東ヨーロッパを機甲師団で埋め尽くして西進してきた場合、そいつらに壊滅的な打撃を与えその進行を遅らせようと利用することを想定したもんでしょ?それ、日本にあてはまるん?「根室に上陸した敵機甲師団の札幌進軍を止めるため、十勝で戦術核を利用する」とかさ「鹿児島に上陸した敵機甲師団が北九州を通過し関門海峡を越える前に、阿蘇山山麓で戦術核を利用する」とかやるん?できんでしょ?「いや違う。アメリカから、長距離核ミサイルを借りてシェアするんだ」って?バカじゃねーの。なんで外交カードそのものであるICBMとか長距離核ミサイルをアメリカが貸してくれるんだよ。そんなにアメリカがお人好しなら、日米安保に従って何があっても守ってくれそうなもんじゃねーか。議論が循環しちゃうんだよ。気づけよ。
子供なんですよ。子供でしかない。議論が子供。何がリアリズムだよ。全然現実見てないやん。単に「威勢のいいこと言ってみました」ゲームにしかすぎない。どこをどうとっても「リアル」じゃないし「実務的」ですらないし「現実可能性」すらない。それが「日本の核武装」「日本の核シェアリング」って議論です。
その意味では、「議論さえしない」と言い切った、立憲民主党の泉健太代表の方が、よほど、「現実的」に物事を見てますよ。
泉健太の方が、よほど、「誠実」だし、何よりも「この発言で、維新との連帯はもはやあり得ない」状態になるわけーー経済政策とか行政改革とかの見解の違いじゃないのよ?安全保障政策で根本的に違うんだから泉健太はこの発言で事実上、「維新と国民とは共産党より距離がある」と宣言してるわけーーだから、「勇気がある」とさえ言える。
よくね、「議論はしておこう」とかいう人いるんだけど、「政策議論」ってのはどの議論でもそうだけども「実行したい」って前提があるから「議論しよう」ってことになるのよ。「実行したいからこそ、議論したがる」って理屈が核兵器とか安全保障が事例だと分かりにくいのなら、「天皇制」で考えてみたらいい。左翼セクトが憲法議論するときに「じゃあ、憲法1条から議論しよう」って言い出したと仮定してみればいい。そいつに「どんな心づもりがあるか」わかるだろうよ。
だからね、核武装とか核シェアリングとか、「議論さえしちゃダメ」なの。それは「可能性の言及」に止まらないの。議論した途端、それは「核兵器の利用の是非」って議論を必然的に含んでしまうの。だってそうでしょ。「絶対使わないけど、持っておく」なんて話はないんだもの。そうなると、もうそれは「核武装の是非」を大幅に踏み越えた議論を必然的不可避的に内包するもので、土俵そのものが動いちゃうのよ。
だから、「議論すらしない」っていう、岸田文雄や泉健太の立場こそ、「現実的」かつ「実務的」なの。岸田文雄と泉健太こそが、「リアリスト」なの。安倍晋三・松井一郎・橋下徹とかh、「夢見がちなオジサン」でしかないの。
日本は核武装すべきでない…以前に、核武装なんかできない。それが現実なの。だからこそ、議論しないことこそが現実的なの。
なに? なんで核武装について議論さえするべきでないなんていう冷酷な現実が我々の前に立ちはだかってるかって?
そりゃしゃーないじゃん。90年ほど前、プーチンみたいによその国を得手勝手な理屈つけて侵略して、調子乗った挙句、世界中からボコボコにしばき倒された、大日本帝国っていう、今のロシアにそっくりなアホな国があったせいよ。
その現実こそを、見つめろ。