「藤津亮太のアニメ文章道場」に応募した『リズと青い鳥』についての文章と、それに関連した、アニメの瞳の表現についての記事です。
応募した『リズと青い鳥』についての文章
今年の2月、アニメ!アニメ!に、アニメ評論家の藤津亮太氏にアニメレビューの書き方を聞いた記事が掲載された。
この記事の最後には、対象となるアニメ作品に関する文章を書いて応募すると、それを藤津氏がチェックし、寸評を送ってもらえるという、「藤津亮太のアニメ文章道場」なる企画をおこなうとあった。
プロに自分の書いた文章を見てもらう。なかなかない貴重な機会だ。
そう思い、私も応募してみることにした。
対象となるのは、アニメ映画10作品。私は『リズと青い鳥』という作品をえらんだ。
以下が、私の応募した文章である。
それからしばらくして、藤津氏の寸評が送られてきた。
以下、その寸評。
指摘されている箇所は、「京都アニメーション=クオリティが高い」というイメージがあったため、問題だとは思わず書いた部分であり、盲点であった。
自分が当たり前だと思っていることでも、それをそのまま書くのではなく、伝える内容に合っているのか、適切なのかを考える必要があるわけだ。「抽象的なフレーズ」とあわせて、今後、気をつけていきたい。
アニメの瞳の表現
しかし、実を言うと、私が応募した文章には、藤津氏が指摘した以上の問題があったのだ。
それは、アニメ特有のうるんだ瞳の表現は『太陽の王子 ホルスの大冒険』(以下、『太陽の王子』)からはじまった、という部分。
周知の事実のように断言してしまっているが、応募した時点では、これはネットで見た知識の受け売りでしかなかった。つまり、ちゃんと調べもせずに言い切ってしまったのである。
こうして、内容の不確かな文章を応募してしまったわけなのだが、それを公開するにあたって、「ネットで見ました」が根拠ではさすがにまずいし、心許ない。
というわけで、この機会に、『太陽の王子』の瞳の表現について調べてみることにした。
藤津氏が応募した文章を添削した記事でも、言い切るためには調べるべきだ、と言っていることだし。
そして、調べてみた結果、有力な根拠を見つけることができた。
『太陽の王子』の作画監督である、アニメーター・大塚康生氏の証言である。
1982年にアニメージュ文庫の1冊として刊行された、大塚氏が自身のアニメーター人生をふり返った『作画汗まみれ』。この本のあとがきで、もっと技術的なことにもふれるべきだったと大塚氏は書き、次のように続けている。
アニメ特有のうるんだ瞳の表現のはじまりと、そのひろがりについての、信頼に足る証拠と言える。(なお、『作画汗まみれ』は、2001年に『作画汗まみれ 増補改訂版』、2013年に『作画汗まみれ 改訂最新版』というバージョンが刊行されているのだが、どちらも、あとがきは新たに書かれたものになっており、上記の文章は収録されていない)
これでようやく、この記事も公開することができる。
いやあ、言い切るってのも簡単ではない。