言い切るためには アニメ文章道場に応募して -リズと青い鳥、高畑勲、瞳の表現-

「藤津亮太のアニメ文章道場」に応募した『リズと青い鳥』についての文章と、それに関連した、アニメの瞳の表現についての記事です。

応募した『リズと青い鳥』についての文章

 今年の2月、アニメ!アニメ!に、アニメ評論家の藤津亮太氏にアニメレビューの書き方を聞いた記事が掲載された。

 この記事の最後には、対象となるアニメ作品に関する文章を書いて応募すると、それを藤津氏がチェックし、寸評を送ってもらえるという、「藤津亮太のアニメ文章道場」なる企画をおこなうとあった。
 プロに自分の書いた文章を見てもらう。なかなかない貴重な機会だ。
 そう思い、私も応募してみることにした。
 対象となるのは、アニメ映画10作品。私は『リズと青い鳥』という作品をえらんだ。
 以下が、私の応募した文章である。

細部に歴史あり
 
 2018年に公開されたアニメ映画『リズと青い鳥』(以下『リズ』)を見ていて、同じ年に亡くなった高畑勲の作品と仕事を思い出した。
『リズ』は、全国大会出場を目指す高校吹奏楽部を描いた、テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』シリーズのスピンオフ。アニメーション制作は、テレビシリーズと同じく京都アニメーション(以下、京アニ)。京アニは、安定したクオリティの高い作画によるキャラクター描写に定評のあるスタジオだ。
『リズ』は、そんな京アニのキャラクター描写に、いちだんとみがきのかかった作品になっている。ふとした仕草や歩き方などで、キャラクターの個性の違いや、心の動きを表現しており、そのせんさいで張りつめた描写には見ていて驚かされる。
 中でも印象に残るのが目の描写だ。例えば、冒頭で描かれる、同級生が登校するのを待つ少女。少女の瞳はうるみ、わずかにこまかくぶれる。そのちょっとした動きは、少女の期待や緊張、不安といった、心のゆれを反映しているようであり、何かただならぬ雰囲気さえ見る者に感じさせる。
「目は口ほどに物を言う」ということばがあるが、『リズ』の目の描写は、まさにその好例であり、キャラクターが口にすることとは別に、キャラクターの感情や心理を見事に観客に訴えかけるものになっている。
 そして、そんな目の描写の源流こそ、高畑勲作品なのである。
 1968年に公開された、高畑勲の初監督作品である長編アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』。この作品で、それまでのアニメにはない表現を追求した高畑は、うるんだ目を表現するために、瞳のハイライトを動かすという手法を発明した。今では当たり前になった、アニメ特有のうるんだ瞳の描写はここからスタートしたのだ。
 だから、『リズ』の目の描写は、半世紀前からはじまる表現の成果であり、観客はそれを目にしているわけである。
 人は死ぬ。しかし、すぐれた作品や仕事はつながっていくのだ。

 それからしばらくして、藤津氏の寸評が送られてきた。
 以下、その寸評。

『太陽の王子 ホルスの大冒険』から連なるアニメの瞳の表現に着目したコラムとしてのアイデアはバッチリです。すごくいい。
 一方、それを伝える手段としての文章にところどころ弱い点があるのは気になりました。たとえば下記の一節において

>安定したクオリティの高い作画によるキャラクター描写に定評のあるスタジオだ。

 アニメ表現における「安定」「クオリティ」「描写」等の言葉が指すものは範囲が広いため印象が弱まっています。
 このような抽象的なフレーズを使う際は、本当にその言葉が最適なのか一考するといいでしょう(原稿の分量や全体とのバランスなどで抽象的な言葉を使った方がいい場合もあります)。
 ここではたとえば「丁寧な作画による丁寧な演技に定評があるスタジオだ」などと言い換えることで、京都アニメーションがどういう点に特徴のあるスタジオなのか、より具体的にイメージしやすい文章になるのではないでしょうか。

 指摘されている箇所は、「京都アニメーション=クオリティが高い」というイメージがあったため、問題だとは思わず書いた部分であり、盲点であった。
 自分が当たり前だと思っていることでも、それをそのまま書くのではなく、伝える内容に合っているのか、適切なのかを考える必要があるわけだ。「抽象的なフレーズ」とあわせて、今後、気をつけていきたい。

アニメの瞳の表現

 しかし、実を言うと、私が応募した文章には、藤津氏が指摘した以上の問題があったのだ。
 それは、アニメ特有のうるんだ瞳の表現は『太陽の王子 ホルスの大冒険』(以下、『太陽の王子』)からはじまった、という部分。
 周知の事実のように断言してしまっているが、応募した時点では、これはネットで見た知識の受け売りでしかなかった。つまり、ちゃんと調べもせずに言い切ってしまったのである。
 こうして、内容の不確かな文章を応募してしまったわけなのだが、それを公開するにあたって、「ネットで見ました」が根拠ではさすがにまずいし、心許ない。
 というわけで、この機会に、『太陽の王子』の瞳の表現について調べてみることにした。
 藤津氏が応募した文章を添削した記事でも、言い切るためには調べるべきだ、と言っていることだし。

 そして、調べてみた結果、有力な根拠を見つけることができた。
『太陽の王子』の作画監督である、アニメーター・大塚康生氏の証言である。
 1982年にアニメージュ文庫の1冊として刊行された、大塚氏が自身のアニメーター人生をふり返った『作画汗まみれ』。この本のあとがきで、もっと技術的なことにもふれるべきだったと大塚氏は書き、次のように続けている。

『太陽の王子』のとき、ホルスが死んでいく父にとりすがって泣くシーン(宮崎さんの奧さんの大田朱美さん担当)で、高畑勲さんがホルスの表情に何度も注文をつけ、大田さんも何度も微妙な表情に挑戦したことがありました。が、どうしても涙でうるんだ目ができず、高畑さんが考え抜いたあげく、ある日、「目にハイライトをいくつか描いて、それをごくわずか動かしてみましょう」といい出しました。テストしてみた結果、これがなかなか効果的で、一応の成功をみました。『ムーミン』で私もこれを多用し、その後すっかり普及して、どこでもやるようになりました

 アニメ特有のうるんだ瞳の表現のはじまりと、そのひろがりについての、信頼に足る証拠と言える。(なお、『作画汗まみれ』は、2001年に『作画汗まみれ 増補改訂版』、2013年に『作画汗まみれ 改訂最新版』というバージョンが刊行されているのだが、どちらも、あとがきは新たに書かれたものになっており、上記の文章は収録されていない)
 これでようやく、この記事も公開することができる。
 いやあ、言い切るってのも簡単ではない。

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