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ギゼンシャ!という子供の流行り言葉

小学生のとき、ガイジ(障害児の略称だったと思うけど、転じてただの悪口として。)という言葉がよく聞かれた頃、ギゼンシャという言葉も流行った。

ちょっと良いことしてみせるとギゼンシャと言われる。「どんなに”偽”だって、良いことはやらないよりやった方が良いだろ」と思っていた。今も思っているけど、今ならやっと少しわかる。謙遜できていない感じと近いんじゃないかな!?(自信なし)

謙譲語も尊敬語も、相手をたてるためにある。何故たてるのかと言えば、相手に尊敬の念を表すためだ。あるいは、相手に気持ちよく感じてもらうためだ。

きっと多くの人が自分は実はもっとスゴいと思い、少しの人が必要以上に自分を卑下し、ほんの少しの人が冷静に自分を見つめているんだろう。いずれにしても、他者が自分を評価したときの得点と自分が自分を評価したときの得点はほぼ必ず食い違う。

自分に対する評価が自分と他者で違うのはみんな薄々気付いていて、だからこそ褒められるとそれはそれで他者の評価なのだと受け入れられるし、嬉しく思える。
褒められて嬉しいって、そういうことなんだと思う。

だから人を褒めたり持ち上げたりあるいは自分を低く表現すれば、人に気持ちよく感じてもらえると打算する。それでコミュニケーションが円滑になるなら、自分にも利益だからそれで良いよね。

さてそんな謙譲語、
・相手に尊敬の念を表すため
or
・相手に気持ちよく感じてもらうため
と表現したけれど、本来は相手に尊敬の念を表すためのハズ

と、思いたくありませんか?

どちらも初めから本来の理由だと思うんだ。なんなら後者が先じゃないかとも思うんだ。でも、尊敬するためだと思いたいんだ。脳味噌が大きい哺乳類ドヤ)な気持ちと一緒に美化したくなっちゃうんだ。

きっとそうなのだと思う。
ギゼンシャ!の言葉も、”偽”なんて付くならやめちゃいなよ、あたいらもっとキレイな生物じゃん、とそういう意味だったのだと思う。

おしまい

あ、トップ画像はここです。
http://girlschannel.net/topics/10537/

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