羽衣と茉莉花


コロナ禍の 宵の硝子のそよ風の 茉莉花匂ひて 深く寝入りぬ



海の向こうからこの疫病がやってきたのは、梅の花のころだった。それは海の向こうの問題から、いつしかこの街の港にやってきた船の問題になっていた。そして、気が付けば生活のほとんどが影響されるようになっていた。
  喉が痛い。それだけのこと。だった。以前なら、何も気にしないちょっとした体調不良。いつもの墨のにおいのする薬を一匙なめて、そうして普段より少しばかり早く寝台に横になる。
 感染している可能性など限りなくゼロに近いことはわかっている。第一、私はほとんど家から出ていない。10日前に行ったアルバイト、あと三日に一度ほど誰とも会わない散歩と、5分もかけずに行う買い出し。それがここ一か月の外出記録だ。そもそも、もし本当に感染していたとしたって検査が行われるのはいつになるだろう。シュレーディンガーの猫のように、感染しているかつしていない状態が治るまで続くのだろう―あるいは私がいなくなるかまで。
午前中いっぱい眠って過ごしていた私は、昼食を食べると今度は眠れなくなった。この自粛期間に勉強しようと用意したたくさんの本たち―いっこうにその山は減ってはいない―から一冊とって読み始める。この資格試験も予定通り行われるのだろうか。おそらく無理だ。だったら、いま勉強したところで何の意味がある―その思考は無視することにした。それがどれだけ無意味であろうとも、やることに意味がある。つまり、あたかも人生が順調に進んでいると自身に錯覚させるという点においてひどくこの手の行動は有用だった。
いつの間に眠ったのだろうか。記憶があいまいだった。
「新型コロナに感染すると、嗅覚と味覚に異常が出る」
この言説は、流行病と風邪やインフルエンザ―つまりこれまでの、取るに足らない病気を―見分けるのにはあまりにおおざっぱで、かつわかりやすい指標だった。わずかに開けていた硝子戸から、春の宵のにおい、ジャスミンの香りがした。私の嗅覚は、まだ正常に機能しているようだった。からからに乾いた口を湿らすべく、すっかり冷めた紅茶をなみなみとたたえた枕元のティーカップととり、寝台を濡らさぬよう慎重に口に運んだ。まだわずかに頭が痛かった。宵闇の中、ナルシスティックに伸びをして、もう一度羽布団に深く潜りこんだ。




今日の夕方のことですが、すでに完治しました。友達と話すのもオンラインだとなぜか喉を酷使してしまいますよね。ずーっとしゃべっていないといけない気がするというか。お酒も飲みすぎてしまいますし。

さて、なんでこんな奇妙な投稿をしたのかといいますと、「コロナ禍という異常事態を、歌物語にできたらちょっと気がまぎれそうだな」と思った方です。気が向いたら、そしてまた似つかわしい場面があったらまた書きたいなと思います。

お読みいただきありがとうございました。


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