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電脳戦機バーチャロンの思い出やゲーセンという文化について
90年代後半を生きたゲーマーであればこの名前を知らない人はいないでしょう。人生で最も金を突っ込んだゲームだと思います。初代からフォースまで、アーケードはトコトン通いました。
初代バーチャロンは1995年に出て当時高校生、通学路の途中のゲーセン全てに導入されて、ほぼ毎日のように帰り道によって遊んでいました。まだ高校生ですから小遣いもあまりなく、とにかく長く遊べるようにという思いからか随分熱心にプレイしました。次に出たのがオラトリオタングラム、アーケード3作の中で最も金を突っ込んだのは間違いなくこの作品です。1998年、自分が大学生になったと同時に導入され、大学生で自由だったせいもあってか死ぬほど遊びました。そしてこの作品が自身の中で最も全国レベルに達することが出来たゲームだったと思います。フォースはちょっと自分の中で下火になっていたので、オラタンメインでお話をさせていただきます。
1998年当時はまだアーケードにもオンライン対戦というシステムは導入されていませんでした。まだゲームセンター内での同一筐体での対戦のみでした。それでも当時のプレイ人口が非常に多く、都内の人の多いゲーセンであれば対戦相手に困ることはなく、毎度違う人と対戦することが可能ないい環境でした。自分の主戦場は大学が西武池袋線沿いということもあり池袋GIGOでした。新宿には劣るものの都内でトップ3に入るであろう人口の多さ、ここでもまれたおかげで随分うまくなることが出来ました。たまに実家に帰ってそちらでプレイすると、今で言うところの「無双」状態でした。それくらいいい環境だったんだなと今でも感じます。他にも西部線沿線の所沢や友人と集合する際の秋葉原など、とにかく人の多いところで鍛えました。同じ地方から関東に出てきた友人の住んでいる地域、津田沼とか横浜とか、関東一円で散々遠征もしました。友人もほぼ一緒にプレイしていたので会うときはチャロンのできるゲーセンが待ち合わせ場所でした。とにかくゲーム第一の大学時代った気がしますw
田舎者の時分ですから東京という土地はやはり想像を超えており、当時のバーチャロン最大のメッカである「新宿西口スポーツランド」は別次元でした。自分も方々通ったほうだとは思いますが、そのはるか上をいく人たちで構成されていた場所です。チャロンを好きだった人であれば覚えている人もいることでしょうが当時関東近県で「ドルドレイ組」というプレイ集団がいたことを。当時「ゲーム批評」という雑誌の特集号的に「アルティメットミッション」という冊子が発売されました。その中でも最も幅を利かせていた(紹介されていた)のがドルドレイ組です。
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アーケードが元気だった証拠のような雑誌です、素人プレイヤー特集してインタビューして売れたんですもんね(実際買ったし)
そんなアーケード全盛期、全国大会というのも色々な作品で開催されていました。私も唯一エントリーできたのがこのオラタンでした(その前のOMGもありましたが浪人時代でエントリーしてませんでした)開催タイミングの関係でエントリーは地元のゲーセンでしました。というのもありますが、本当の理由は以下の通りです。地元の岩手のゲーセンの店員は仲が良く、そういった大会の情報の即座に教えてもらいました。どうせお前ら出るだろうくらいで自動的にエントリーしてくれて、チーム構成などもそのゲーセンに友人有志で集まって決めました。そしてその大会のエントリー情報をその店員から聞いた時驚きました「ドルドレイ組がここでエントリーしている」という話でした。なぜ関東のチームがこんな東北の片田舎のゲーセンの予選にエントリーしてくるのか、最初聞いた時は訳が分かりませんでした。しかしその当時のある程度の評判から「地方狩り」をしているということが確認できそれでまー我々地元組は怒ったもんです。電車賃かけてわざわざこんな田舎まで来て、そこで優勝して全国大会に出場する。普通に考えれば「馬鹿じゃね」の一言です。別にお金になるわけじゃないでしょうし、恐らく身内でのノリで実行されたことでしょう。地元組の我々はそれを聞いて「とにかく追い返してやろう」と意気込みました。地元では私の友人でトップクラスのプレイヤーは集まっていました。事実私もトップ5には入る実力者でした。そこで私含めトップ3でチームを組んで何とかしてやろうとなりました。そして決勝でそのチームと私たちがぶつかりました。結果惜敗でした。悔しかったですね、とにかく悔しかった。
※余談ですが、わざわざ東京から来て地方プレイヤーと交流でもするのかと思いきやそんなこと全くなく、随分上から目線だったのを覚えてます。なので余計ムカつきましたw
ゲーセン主体(メーカーかな)での大会なんて今は開かれない時代でしょう。やるとしたらeスポーツとして公式な大会が存在する時代です。我々の時代のそういった大会にモラルなんてものはある意味存在しないでしょうが、わざわざ地方いじめに来た彼らに対し「そこまでする意味は?」というのは当時地元民の我々は全員持っていました。正直なぜ来たのかを今でも聞きたいです。今であればチートはダメだとか煽ったり差別はダメなどの大きい枠で大会のルールは存在します。ですが、それ以外はそのゲームの土俵の上であれば違反という行為は存在しません。ただ人のモラル的な部分は今も昔も変わらないはずです。そのあたりを無視してゲームの世界で支配(といっていいのか)を目指すのは何なのだろうとよく思います。
後にも先にもゲームの大会というものにエントリーして参加したのはバーチャロンが最初で最後です。それだけこのゲームは入れ込んでいて強くなりたいという思いがありました。だから余計に今回の話のような不正ではありませんがプレイヤーをなめた行動をする人たちを許せませんでした。彼らからすれば舐めていたわけではないかもしれませんが、少なくともそれをやられた方はいい気分ではありませんでした。対戦ゲーに関しては相手に対するリスペクトがなければだめです。舐めプという言葉がありますが私は嫌いです、大嫌いです。そもそもゲームが上手いくらいで偉そうにするのってどうなんだろうと…。ゲーム内弁慶になったりとアバターを使うことで別人に慣れる人も多いですが、私はそういう騙しやなりきりがどうしても苦手で、MMOなどの中でも基本素で対応していましたそれはオンラインゲーでの思い出になるので、いつかFF11の記憶も書こうと思います。
アーケードも今では随分すたれてきましたし、同じ店内で対戦するという構図も随分薄れてきたと思います。そこで友達になることが出来たという時代は終わりを告げ、どこか知らない人と拳を交えるだけになったのはちょっと寂しいかなと思います。それが今は自宅のネット対戦に置き換わって、人によってはその延長で友達になることもあるのでしょうけど。
ゲーセンというものは色々と負の面もありましたがそれ以上に私たちに楽しみを与えてくれました。ただ今の構図と明らかに違うのは、そこで顔を合わせて直接話して縁が生まれたということです。古い人間なのでやっぱ出会いはそこで顔を見て声を聴いて話してというのが自然だと思っちゃうんです。それこそバーチャロンが縁で出会った大学の友人は今でも無二の親友です。ネットでは出来ないいい出会いだなと私は結論付けます。