オタク(?)趣味は何歳まで許されるのか
よくゲームは何歳まで趣味として許されるのか、といった変な価値観から来る議論が見られます。先日もコスプレイヤーの人が「何歳までだってやってやる!」といってる発言を見ました。それでいいと思います。人様に迷惑をかける悪事でなければなにやったっていいですし、それを許すのは自分です。しかしそこに第三者が入ってくるから変な議論が起きるんです。
私の世代はファミコン世代です。小学校の頃にファミコンに出会い40過ぎてもまだゲームをプレイしています。これだけ聞けば何も不思議なことはないでしょうし、誰に迷惑をかけていることもありません。ですが子供のころ親からはよく「いつまでゲームをやっているんだ」的なことを幾度となく言われたものです。当時はなんでそんなこと怒られなきゃいけないのかとよく思いましたが、昭和の人間ですからそれも今となってはしゃーないなと思います。それもそのはず、私たちの親が子供のころにはテレビゲームなんてものは存在しません。趣味としてあげられるものの代表格として読書、登山や釣り、麻雀なんてものもありますが、今我々が生きている時代の趣味とは全く異なるものでした。もちろん今でも残っていますけど。
趣味というものが「その時代の流行」からくるものであり、「この中から選んで」というものではありません。その勘違い(というか先入観かな)は世代で生まれます。前述の通り私たちの親世代にはゲームというものが存在しないので、ゲームという趣味を選択することができません。もっとアクティブ?なものが趣味として並ぶ時代でした。それが時代がうつろうことにより新しいものが生まれそれが趣味として定着する、多少の時間はかかりますがそれが世間に認められて誰が聞いても「なるほど、あなたの趣味はそれなんですね」となるものに昇華されていきます。趣味の多様化に順応できていないだけなんですよね。
題名に「オタク趣味」と書きましたが、その線引きってなんなのでしょうか。私が考えるにこれは前世代の価値観からきている偏見だと思っています。「オタク」と呼ばれるものが世間に広まったのは90年代後半から2000年に入ってからのあたりだと私は考えます。コスプレであったりゲームであったり同人誌であったりと、メディアに良くも悪くも取り上げられ始めたころです。そのころはまださげすんだ目で見られることの方が多かったと思います。事実私もそっち側の人間でしたのでそういった視線を感じたことはあります。そもそもなんでその手の趣味だけさげすまれなきゃいけないんですかねってことです。読書が偉いのか、釣りや登山が偉いのか、それ以外の趣味は全て健全なのかってことです。キャラクター的に叩きやすかっただけだと思います。どちらかと言えば「陰キャ」と呼ばれる人が多く存在した界隈です。
こちら側の世界は極端な言い方をすればいじめられっ子側の趣味として捉えられている時代がありました。ですが既にその姿はずいぶんと影を潜め、表に出してもあまりいやな顔をされなくなってきました。もちろん一部界隈では嫌悪感があるでしょうが、そんなのその相手側の趣味も同じことです。どういった界隈がこちらの趣味を叩いているか知りませんが、陽キャ勢だけではないと思います。思うに「この界隈になじめなかった人たち」なんじゃないかと推測します。なんとなくですが「他者とのコミュニケーションありきで成り立つ趣味(逆も然り)」という誤解もあったと思います。別に一人で登山したっていいわけですが、なんとなーく複数形の趣味として捉えられていたんだと私は推察しています。その逆でオタ趣味は比較的単独でソロでこなしやすいものでした。そしてそれを助長したのもまだその世界が成熟しておらず仲間を見つけづらいからだったと思います。それが数十年経過して熟成され仲間が増えて見つけやすくなった。とてもいい結果だと思います。その時代を生きたかったなとちょっと恨めしい気もしますがw
常々申し上げていますが、SNSで大々的に発信なんてものをしなけりゃ自分の趣味が世間に知れ渡ることなんかありません。それをやっちゃうということは少なからず自信を売名したいという気持ちがあるからです。そこだけは発信する際に自分に問いかけてみればいいと思います。「自分は何故ここで発信するのか?」と。それさえ正常に判断出来れば年齢なんて関係ないと思いますけどね。
(以前書いた記事でもちょっとそれに通ずることを書いています)
※余談
この夏実家に帰る前東京でついガンプラを買ってしまい帰省したのですが、帰った時親父に「まだガンプラやってんのか」と言われたときはキレそうになりましたw