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読まれなかった本も、きっと浮かばれる
古書店で買った本(美品)に、著者謹呈箋が挟まったまま。そういうのを見るのはなんだかつらい…というつぶやきを、最近Xで読んだ。ご自身も本を出している方の投稿である。
献本したものが(おそらく読まれもせずに)古本屋に売られているなんて、贈ったほうにしたらガッカリだろう。その気持ちは、本を出したことのない私にもよくわかる。身内が職業柄、何冊か本を出したことがあるからだ。
本を出したと言っても、同業者しか読まないような専門書だ。著者は無名で、しかも当人によると、その分野ではけっこう異端的な立場から書いているという。身内の贔屓目から見てもあまり「売れそう」な本ではない。
このような本の出版を引き受けてもらうのは、なかなか大変である。
まず、助成金などが使えれば申し込む(これがないと出版交渉すら難しい場合が多い)。その上で著者買取◯◯◯冊、などの条件をのんでようやく出版社の企画会議にかけてもらえる。半ば自費出版みたいなものだ。
こういう形で本を出すのが、よくあることなのか特殊なケースなのかは、私にはわからない。ともかくこの出版不況の中、本を出してくれるだけで御の字だ。当人の仕事の成果が単著という形になるのは、執筆中の苦労を見てきた者としてもうれしい。
とはいえ、悩ましいのは買い取らされた自著の行き場だ。
考えつく限りの献本先はリストにして渡してあり、発送の作業は編集者がしてくれる。その残りがダンボールでどーんと届く。著者は「置いといても仕方ない」と言って職場や親戚などに配りまくっていたが。
以前私は、そういうものをもらう立場になったことがある。
ある日習い事のお稽古に行ったら、先生の家の座敷に新刊本が山積みになっていて、好きなだけ持って行けという。聞けば、生徒のひとりが持ち込んだとか。その人のお父様(経済界では名の知れた方らしい)の回顧録が出たのだが、このお方も版元から大量に買わされて処分に困っているとのことだった。そういうことならと一冊頂戴した(というか押しつけられた)が、正直のところつまらない本だった。申し訳ないけれど、後でこっそり古書店に売ってしまった。
なので、欲しくもない本をもらってしまった側の困惑もわかる。
身内が出した本も、専門外の人にとっては退屈だろう。そんなものを贈られたら迷惑かもしれない。処分されても仕方ないかな、と思う。
古書店に持ち込まれるなど、流通しているうちはまだいい。新たな読者に見つけてもらえる可能性があるからだ。
問題は、売れ残りである。ある出版社の場合、倉庫で一定期間過ぎると裁断処分となる。その後需要があればオンデマンドの形で発行するらしい。
廃棄の前に、大幅に割引くから引き取らないかと出版社から声がかかった。新品のまま裁断、と聞いていたたまれなくなり、必要もないのに追加で買ってしまった。保管スペースの都合で全部は救出できなかったのは残念だが致し方ない。
最初から発行部数を少なくしたり、オンデマンドにすれば無駄はなさそうだが、かえって採算が取れないのだという。紙の本を世に出すために、誰からも読まれず処分される分が生じてしまう。もったいない話だ。
献本した人から頂いたお礼状の中には、内容が伝わったことがわかる感想が書かれていることもある。そんな時の著者は「ちゃんと読んでくれたんだなあ」と嬉しそうだ。よかったね、と側で見ていて思う。
本を購入してくれた人の中にも、著者の言い分を理解してくれる人がいたとすれば、本を出した意味はある。
その時はきっと、誰からも読まれずに処分されてしまった本たちも浮かばれるのだろう。そう思いたい。