埴輪に向けられた視線〜「ハニワと土偶の近代」展
埴輪ってなんかかわいい。
古墳の上や周辺に並べられていたという埴輪。歴史の教科書くらいでしか見たことがなかったけれど、素朴な表情をたたえた人形たちには親しみを感じます。
いま、埴輪がテーマの展覧会が都内の2ヶ所で開かれています。
ひとつは東京国立博物館の「特別展 はにわ」。全国からたくさんの埴輪が集められています。これだけの規模で展覧会が開かれるのは50年ぶりなのだそうです。
そしてもうひとつが、東京国立近代美術館で開催されている「ハニワと土偶の近代」です。
あれっ、と思いました。
埴輪は古墳時代のものなのに、なんで国立近代美術館で展覧会をするんだろう?
それに「ハニワと土偶の近代」というタイトルも妙な感じです。ハニワと土偶と近代という異なる時代のものがこの順番で並んでいる意味がわかりません。
どれ、近代美術館に埴輪を見に行ってみるか。全く予習なしにふら〜っと出かけてみました。
会場に入って「ごあいさつ」のパネルを読み、私は初めてこの展覧会の趣旨を理解しました。
埴輪を始め、土器や土偶といった出土遺物は、ある一時期に集中して注目を浴びたといいます。それはなぜかということに迫った展覧会のようです。
つまり、埴輪や土偶を題材にした作品が主に展示されているということです(埴輪そのものはごく少数しか出展されていませんのでご注意ください)。
この展覧会を見て、特に印象に残ったことがふたつあります。
ひとつは、埴輪のイメージが皇国史観の増強や戦時下の戦意高揚に利用されていたということです。
埴輪は歴史画家の日本神話イメージ創出を助ける視覚資料にもなったそうです。
神話のキャラクター。服装や髪型が埴輪のものと似ています。今でも古事記や日本書紀の登場人物はだいたいこんな見た目で思い浮かぶのではないでしょうか。
これ以前はどのように描かれていたのでしょう。試しに江戸時代の絵画を検索してみます。
神武天皇を描いた錦絵なのだそうですが、確かに見た目は埴輪とはだいぶ違った感じがします。
さまざまな雑誌で特集が組まれたり、絵葉書などが発行されたり。戦争を背景にした国粋的なムードの中で、埴輪のイメージは人々の中に浸透していったそうです。
私ももしこの時代にいたら、埴輪のかわいさにつられて愛国グッズを買い漁っていたかもしれません。
その頃の美術展に出品するには、愛国主義的・軍国主義的な題材でなければならなかったとか。武人の埴輪は、絵画のモチーフとして重宝されていたようです。
この展覧会でもうひとつ印象に残ったのは、敗戦とともに埴輪に視線が向けられなくなっていったことでした。
敗戦によって皇国史観で形作られた日本の歴史がリセットされ、国民のアイデンティティを再生しなければならなくなった中、万世一系の象徴であった埴輪は人々の意識から遠のいていきます。
埴輪に代わって脚光を浴びたのは、縄文時代の遺物である土器や土偶でした。
日本の起源は神話でなく縄文時代にあると、歴史が読み替えられたのですね。
埴輪のブームと入れ替わりに土偶のブームが来た。この順番なので、展覧会の名称は「土偶とハニワの〜」ではなく「ハニワと土偶の〜」だということです。
ただ、それだけが縄文的なものがブームになった理由ではありません。戦後に都市化が進む中、「土」の芸術に何らかの意味を見出した人は少なくなかったようです。
「縄文的なるもの」を波及させたアーティストの代表格が岡本太郎、ということで、岡本作品の展示もありました。
また、1950年代に古代メキシコ文明に関する展覧会が開催されたのをきっかけに、日本の美術界では原始的なモチーフが流行したそうです。そこに土偶がハマったようで、土偶を題材にした作品は数多く作られました。
大衆の中で再び埴輪や土偶が注目されるのは、1960年代頃から。
世代的に『大魔神』は古過ぎ、『おーい!はに丸』は新し過ぎて、私はどちらも視聴したことがないのですが、このようなキャラクターがいたことは知っています。それだけ有名であったということです。
この展覧会で埴輪や土偶に向けられた視線の変遷を辿り、これらにどのようなイメージが背負わされ、ブームの裏に何があったのかその一端を知ることができました。
ちなみにこの展覧会は、ひとつひとつ解説を読まないと、その作品が展示されている意味や展示物同士の関連などがわからないものがほとんどかと思います(音声ガイドは一部の作品にしかついていません)。老眼鏡を持って行ってよかったです。
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