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お前それホントに多様性を認めてるって言えんの?という話

少し前にこんなツイートを投稿しました。

これはここ10年ぐらいずっと思っていることではあって、「多様性を認める社会」とか簡単に言われると片腹痛いわ、って思って眺めていたりするわけです。つまるところ、「多様性を認める」というのは

君の立場になれば、君が正しい。僕の立場になれば、僕が正しい。 - Bob Dylan

というのを理解できてるのか、という話だと思います。

雨が降ったら休む、という先生を許せるか

私の中学の先生に「雨が降ったら自習になる」という先生がいました。
副教科の先生だったので授業数も少なかったのですが、その先生の価値観では雨の日に授業をするのは嫌だったようです。細かな理由は分かりませんが、事実そうでした。

便宜上、「常識的」という言葉を使いますが、常識的に考えると、この先生は褒められたものではないと思います。他の先生は天候に関係なく授業をしているのに、なぜこの先生は雨だというだけで休むのか。
社会人として失格だ!と糾弾することは簡単です。
私個人の価値観から考えても、「おいおいそれはないやろ」とは思います。
「そこは頑張って授業しろよ」と思いますけど、それはあくまで私の価値観。

全ての価値観は認められるべきか

実際問題として、先生にとっては「雨のときは働かない」は重要な価値観だったんだと思います。少なくとも、生徒よりは大事だったわけです。先生にとっては。

ここで冒頭の「多様性を認める」が出てくるわけで、多様性を認めるというのであれば、この先生の価値観も許容してあげないとおかしい。
「多様性は認める、でも雨の日に授業しないっていう価値観は認められない」は恣意的すぎます。

価値観として認める事と社会生活ができるのは別、という意見

「価値観としては好きにしてもらっていいけど、そんな人と働きたくないし、社会生活ができなくても自己責任」と言う人もいると思います。

まあそれも1つの価値観ですし、それを否定することは多様性云々と矛盾するわけですが、それはちょっと乱暴ではないかなあと私は感じてしまいます。
いわゆる「常識」というものに近い価値観をもっているからそんなことを言えるのであって、今のマジョリティとマイノリティが入れ替わった世界でもそんなこと言えますか?とは問うてみたいなと思います。

大事なのは想像力

結局価値観なんて人によって全部違うわけなので、全部許容するのは現実的にかなり難しいです。なので、多様な価値観が存在していることを常に想像しておくのが大事なんだと思います。

もっともバカみたいなことは、自分の価値観が正しいと信じて違う価値観の人を排除することなんでしょう。価値観が異なる人を理解して賛同する必要はないですが、そういう価値観が存在することを認識はしておかないといけないと思います。

色んな価値観の人が楽しく生きていければよいなーと思います。
それでは。