旅の始めに帽子を洗う
洗うことのできる帽子、他の人がはたして洗っているのか、どんな頻度なのかは知らない、元々は町内仕事なんぞのためにネットで買った安物だ、思いの外、使い勝手が良くてこのところヘビロテしている帽子、どこかに忘れても惜しくはないはずだったのに、いつの間にか大事な旅友になっていた、ぬるい湯の中で帽子も気持ち良さげにわくわくしている気がするのは、勝手な妄想か
私の頭の上で日差しを遮り、同じ風景を見ているのだ、思い出が重なるごとに、どこかに忘れてもいい帽子…ではなくなっていく、モノには魂が宿るとか聞くけど、こういうことなんだろうか?? 人が入れ込んだ想いがモノを擬人化していくのかもしれないな、新品ではないけども、古い汗は落としてから出かけよう、その方がもちろん私も気持ちいい
ミニマルに暮らしたいと思い、モノには執着しないようにしているが、同じ用途のモノを不必要に増やすのがイヤなのは、ミニマルとは離れた私のケチ臭さ由来だし、もったいない精神ともまた違う、たいして得意ではない片付けの中、つまらないモノに、むぅ…と固まる時がある、記憶の何かにひっかかり手放すことを躊躇する、代替はどこにでも売っているだろうのに
「もー、いい加減捨てたら?」
「新しいの買ったら、捨てないと増えるばっかやでー」
幾度となく身近な人と感情なくやり取りしてきた、ひょっとしたらば、その人にとっては、同じ時間を過ごした想いを断ち切れない『むぅ』なモノなのかもしれないな、ほんの少し優しくなれる気がした、帽子はおだやかになれる心地良さも運んでくれた、さぁ、形を整えて干すとしようか、できるだけ長い間、頼りにできることならありがたい
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