親がかかるヤマイなのか?
重篤化との兼ね合いが難しい
まだうら若き乙女(のはず)だった10代中盤、バス停で幼なじみの男の子とばったり、スマホも携帯もない時代、各種連絡は家電だったり、直接会ったりくらいだったような…
「ちょうど良かった、オマエに伝えることあったわ~~…」
「あ~、そういうことなら電話してくれたら良かったのに」
「オマエんとこ電話なんかしたら、オヤジさんにぶっ殺されるワ」
!!!!!まじかぁ~!!!!!
穴があったら入りたいってのを実感したのは、この頃かもしれないな
6人きょうだいのご長男サマの父、親戚が集まると私の自慢を会話に混ぜる
たいした成績でもない、運動神経が良いわけでもない、キレイだとかかわいいだとかは遠くにある言葉、特段自慢できる要素などない自覚はあるし、そもそもご長男サマの言うこと、余程でなければ大人な叔父叔母が否定するはずもない空間、つらつらしゃべる気持ち良さげな表情の父を遮らないのは、周りの優しさだが、まぁそこを気付く父ではないのが父らしいところ、若干の居心地の悪さはあるけども、へらへらしながら放置しておこう
…ってなことを
町内でもやらかして拡散していたということか、しかも彼の口ぶりじゃ、まぁまぁな強力さ加減じゃないか、物心ついてから10年以上も気付いてなかったということか、親になっても親ばかになるのはやめよう、子どもが穴に入りたくなるかもしれない、その場で穴を掘るのは難しい
その決意は忘れちゃいない…のに
「親ばかなんだけどさぁ~~」
一応、エクスキューズは入れてみる、入れりゃいいってもんでもない、自分で突っ込んでみるけど止まらない、子どもが成長するにつれ、自分ができなかった頑張りを見せてくる、ほぉ~と思う違う見方で意見を言ってくる、ためらうことなくサクサクとチャレンジしてみたりする、もぉ、何やってんの?って部分は小さくなって、へぇ、すごいじゃん!って部分が大きくなってくる、その感動を共有したくて披露したくなってくる、余程でなければ大人な周りは否定するはずもない、それに甘えて私はどんどん昔のオヤジに同化する
このヤマイは遺伝なのか、不治のヤマイなのか、サンプルが少なすぎてわからない、処方箋があったら頂きたいところだが、半分くらいはこのままでも良いかな、と矛盾した気持ちを引きずっている