故郷の木々の闇に感じる懐かしさと近づく別れ
父の四十九日で帰省している。
帰省といっても、ここには父の法事の時に帰ってくるしか用がなくなってしまった。実家も畳むことになるかもしれず、そうなると帰ってくる場所がなくなるかもしれない。
今、四十八歳。今まで一番長く住んだ市区で言えば、まだ佐賀県武雄市が18年と一番長い。次は、東京都墨田区の15年くらい。墨田区の中でも、住んでいる場所は転々としているので、長いところで約10年くらい。武雄市の実家の16年(記憶にはないが、生まれてすぐは、市内の別のところに住んでいたらしい)が一番長い。しかも時間の流れを長く感じた幼少期から少年期にかけて住んでいたのだ。
思い入れがないわけがない。
迎えも呼ばず、タクシーも使わず、駅から実家に向かう途中、写真を撮りがながら歩いた。一番見慣れた景色というわけではないが、小学校の時は、寄り道した道だし、高校の時の気分で変えていた通学路の一つだ。
駅に着いたのは、20時ごろ、デフォルトのフラッシュモードだと、自分が見ていた暗い空間とは違うものが撮れてしまう。でも、フラッシュなしだと、何も写らない。
でも、この暗さだよ。
私が当時感じていた夜の暗さは。
山の木々を見ると、闇しかない。
月が隠れるともっともっと暗くなる。
さらに山奥に住んでいた高校時代の友人に言わせれば、武雄町内は明るすぎるそうだが、それでも夜、この闇に向かって、思考も感情も投げかけていた。苦しさも、悔しさも、悲しさも吐き出したのはこの闇だ。
自分の幼い、若い、みずみずしい感情を受け止めて、何も言わずにいてくれたのはこの闇だ。
もうずいぶんと大人になってしまったので、この闇の中に何者かがいるような感覚はないけれど、確実に、私の暗い部分、痛々しい傷、ドロドロしたものを吸収してくれた。
あと何度、自分の人生で、この闇と向き合うことがあるかわからないが、そう何度もないだろうと思う。ありがとう。そして、さようなら