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【短編小説】弓張の月 第8話(全8話)
30分後に返信がきた。
「友達から電話が来て、返信が遅くなてしまった。ごめん。23日はどう?23日は会えるかな?会えそうなら明日の朝、23日の朝の月を見て」
え、会う日がイブではないけど1日早くなった。え、23日って明日だ、どうしよう、明日会えるの。
「うん。放課後、道場に行く。ちゃんと月もみる」
すぐに返信をした。約束の2回目の返信が終えた。もっといっぱい書きたかった、もっとたくさん伝えたいのに。
明日になれば会える。でもなんで明日の朝、月を見るのかな?朝、月が見えるのかな?とおる君の言っていることがわからなかった。
布団に入ってもなかなか眠れず、また起きて、制服のシワとピンクのマフラーをもう一度確認した。また、横になり、リモコンで天井の明かりを消した。明かりの残像が、あの日、とおる君と一緒に見た満月になって丸く残る。明日はどんなお月さんなのかな。満月から1週間、もう月はかけているのかな。
「由美、今日は慌ててるけど、帰りにどこか行くの」
「内緒」
「あ、もしかして」
そういうと、私の顔を覗き込むように近づいてきて、ニタニタしている絵里奈。
「勇気よ、勇気だからね。わかった」
それだけ言うと、いつからかお揃いになったピンクのマフラーを首に巻き始めた。
「もうすぐ冬休みだけど、図書室に来ることあったら教えて。私も本気で勉強しないとやばいから」
そう言いながらも、絵里奈はちゃんと模試も受けてるし、希望校の合格ラインに入っていることは知っていた。
「うん、いつもありがとう。私は一人じゃないって絵里奈が教えてくれたから、受験も一緒に頑張ろうね」
絵里奈の口角が上がったのがわかった。
100段の緩やかな階段坂を登っていく。息が切れてハアハアすることもなく登っている。それより、心臓のドキドキが苦しい。まるで胸の中の心臓が一回り大きくなって、大きく荒く息をしている感じだ。一段一段、自然と足が上がる。ワクワクしている自分がわかる。
階段の途中で空を見上げた。空に浮かんでいる白い雲が赤く染まっている。もうすぐ沈もうとしている太陽が1日の最後の光を真っ白な雲にあてているのだ。
去年の私、私は、真っ白な日記帳を真っ赤な血で汚していた。いま見上げている雲は同じ赤く染まっていても、太陽の明日への希望の光を受けて輝いて見える。
でも、とおる君はなんで24日のクリスマスイブに会う約束が1日早い今日になったのだろう。もしかしたら他の人との約束があるのだろうか。そんな不安が頭に浮かんだとき、足が止まった。
会いたいのに「会うことをやめたほうがいいのか」と心の奥に潜っていた不安な気持ちが湧き出て来るのがわかった。
また、空を見上げた。「勇気よ、勇気」。絵里奈の声が聞こえた。
最後の一段に足を乗せた。会いに行こう。裏門の脇道を進んだ。そっと歩いている自分の足音しか聞こえてこない。足を止めたが、聞こえてくるのは風にあおられて擦りあう葉の音。ササ、ササ。ガサガサ、鳥が木から飛び立った。いつもならこのあたりで弓道部の声が聞こえるのに、今日は静かだ。
道場についた。シーンとしている。誰もいないのか。「サヨナラ」と言うメッセージが来ているのでは、と思ってスマホを見た。まだ、日記帳を血で赤く染めた日が忘れられない私。
射場が見える矢道の横にある木のベンチのところへきた。人の気配を感じない。「やっぱり誰もいないのか。やっぱりそうだよね、こんな私だものね」呟いたつもりだったが、自分でも聞こえるほどの声だった。
ガタッ
誰かいる。とおる君がスチールの椅子を持って射場の横に立っていた。
「あ、由美さん。来てたんだね。気づかなかったよ」
あ、来てよかった。迷ったけど、勇気を出してここに来てよかった。
「こんにちは。今日は誰もいないのですか」
「そうだよ。今日は誰もいないよ。授業が早く終えてるから早めに練習を始めて、早めに終えたんだ」
どうしていいのかわからずに立っていたら、私を射場に呼んでくれた。
「ねぇ、ここに座って」
さっき持っていたスチールの椅子が2つ並べられていた。ドキドキしていた。誰もいない場所で、二人で並んで座っている。
「寒くない?」
「はい」
「受験勉強は頑張っている?」
「はい」
会話が続かない。
「明日はクリスマスイブ。今年ももうすぐ終わるね。受験が終わるまでは、勉強に熱中してほしんだ」
「え?どう言うこと」
「次に会うのは由美さんが受験を終えたときにしようかと思っている」
それって、お別れのことなの。心が乱れ、頭の中で思考が止まってしまった。返事もできなかった。
「由美さん、空を見て。思い出して。初めて会った日の月を。12月1日だったね。友達と一緒に道場に来てくれた日」
とおる君は、私たちの出会った日のことを覚えていてくれた。そしてゆっくりと話し出した。
「あの日は月が見えなかったでしょう」
確かに絵里奈と「私たちみたいに恥ずかしくて、どこかに隠れたのか」と話したことを思い出した。
「あの日は、新月といってお月さんが真っ黒の日だったんだよ。よく新月の日に、新しいことを始めるといい、と言われている。僕は新月の日は、新しい出来事のスタートの日だと思ってるんだ。その日に初めて由美さんを見た。由美さんを見たときに、新しいことが始まった気がしたんだ」
お月さんのことに詳しいとおる君だけど、そんなことも知っているんだ。私は黙って聞いていた。
「駅であった日を覚えてる?マックに行ったときだよ」
「うん、もちろん覚えてる」
一緒にキャラメルラテを飲んで、この日の満月をコールドムーンというんだと教えてくれた日。
「あの日は満月だったね。普段、めったに声をかけることのない僕が、駅の近くで由美さんに声をかけた日。満月って、積極的になれる日と聞いている。だから僕は由美さんに声をかけることができたのかもしれない」
あの時、声をかけてもらわなかったら今日二人だけでいることはなかった。
「今朝のお月さん、見た?」
「うん。朝もお月さんが見えるんですね。左半分しか見えなかったけど」
「そうだよ。今日23日のお月さんは、下弦の月っていうんだよ。弓張の月とも言うけどね。左半分だけの月なんだ。左半分だけのお月さん、何かに似ていなかった?」
突然言われても、今の状態で考えることなんかできない。
「弓道の弓と弦に見えなかった?」
そう言われると、見えなくもない。
「見えた気がします」と曖昧な返事をしてしまった。
「下弦の月を弓張の月というのは、きっと弓に見えるからじゃないかな」
「うん」
「うん」と返事をして気づいた。「はい」と返事をしていた私が知らぬ間に「うん」と気安く返事をしている。それだけで、とおる君に心は少し近づいている気がした。
「由美さんの受験が終わるまで会うのを我慢しよう」
返事ができない。
「その代わり、弓張の月を思い出してほしい」
「え?」
「弓張の月、あの弦を由美さんにひいてほしい。そして僕の心に・・・」とおる君が照れているのがわかった。それが嬉しかった。
「私も話していい? 弓張の月、受験終わるまで毎日思い出す。その代わり、とおる君もあのお月さんの弦をいっぱいにひいて、矢を私の心に刺してほしい」。言った途端に顔が真っ赤になった。口から心臓が飛び出しそうになった。息が止まりそうだ。とおる君の顔も赤くなっているのがわかった。
しばらく会話がなくなった。
「寒いね。もうそろそろ帰ろうか」
「うん」
とおる君が道場の明かりを消してた。100段もある階段で肩がぶつかるほど近くで歩いた。とおる君のカバンには、私の手作りの熊ちゃんが付いていた。
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