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「ふじちゃん」の思い出

記憶の中の祖母は、くすんだ色の古びた着物を
いつも きちんと着ている、凛とした明治の女だった。
祖母の名は、ふじの…
ご近所さんからは、ふじちゃんと呼ばれていた。

幼いころ体の弱かった僕は、そのほとんどを祖母に育てられた。
やさしく、ときに厳しかった祖母との想い出は 溢れるほどあり、
今でも、いろいろな出来事が鮮明に 脳裏に浮かぶ。
僕は、両親よりも この祖母が好きだった。

祖母は僕が中学生の時、病院で死んだ。
それまでは、祖母の死を想像しただけで涙が出たのだが、
いざその時となると、なぜか涙は流れなかった。
少しも涙の出てこない自分が不思議だった。

あとで母から聞いた話だが「あれは○○じゃないのか?」
「○○が来たんじゃないのか?」と病院の窓から中学生らしき子を見つけては、毎日のように言っていたという。

それを聞いても涙は流れてこなかった。

そして十年以上もの月日が流れた頃のある日 この話しを思い出し、
突然 涙が止まらなくなった。
「なぜ、もっと病院に行ってあげなかったのだろう」
祖母の寂しかった気持ちを思うと今でも胸が苦しくなる。

僕は、物事に後悔しないように努めて生きてきた… つもりでいる。
自分が決断し、行動した結果 起きた事には後悔しない。と…。
しかし、自分の吐いた取り返す事のできない言葉に、
死ぬほど後悔したことが三回ある。

三回ばかりではなく、他にも何回もあるのだろうが、忘れた。
忘れるくらいだから、たぶん大したことではないのだろう。

しかし この三回の言葉は、 おそらく死ぬまで忘れられないだろう。
そのうち一回は、入院する前の祖母に吐き捨ててしまった言葉だ。

それでも祖母は、僕を待っていてくれた…。
自分で自分を殺したくなる思いがする。

何のために生きているのか、と問う人がいるが、
生きる事は、育ててくれた人達への恩返しだと僕は思っている。

今日、五月十二日は祖母の命日。
仏壇に好物を供え、手を合わせた。

祖母の事を思い出す人は僕で最後になるだろう。
僕が死ぬとき、もう思い出す人はこの世に誰もいなくなり、
それが祖母の二度目の死であり、本当の死となる。

時の流れとは 虚しいものではあるが…  それでいいと思う。
思いが絶え、そして すべてが消え去る…。
それでいいと思う。

ショートノートより再掲



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