冬の朝、母の最期。
2月の寒い日。
その日は仕事が休みで、朝から用があって出かけていた。
出先に着いて、気づいたら兄から電話が入っていた。
折り返すと、
「お母さん、死んだわ」と、いうことだった。
(兄は母を看取った後で、淡々としていました。
兄の、母への葛藤は知っているので、この淡々とした中に、いろんな思いがあるのだろうと、私なりに感じていました。)
朝、ゴミ出しに行って、帰りにつまづいたかなんかで軽く転んで、痛いと言いながら、
いつものようにコタツに入って寝たらしい。
しばらくして、父が、寝ている母に声をかけたのに反応がなく、おかしいと思って頬をたたいても反応がないので、急いで救急車を呼んだようだった。
母が死んだ
電話を切って、ただただ涙が止まらない。
悲しいのか?でも、いつか母が亡くなる時が来るんだろうなと思った時もあったから、その日が今来ているのか、そうなのか?本当なのか?とか、いろんな思いが回る。
急いで出先から一旦自宅へ戻る。その間の電車でも涙が止まらない。悲しいから泣くのかなんなのか
よくわからない、感情を越えて涙が先に出る感じ。
それから準備をして実家に帰った。
遺体はもう戻っていて、叔父や叔母が来ていた。
母は、いつもの居眠ったような顔で横たわっていた。寝顔にしか見えなかった。スヤスヤとのんきに眠っているようにしか見えず、なんだか不思議な感じがした。
そして、変な話、すごく母に甘えたくなった。
手や腕をベタベタ触ったり、顔をスリスリしたり、とにかく甘えたくなって仕方なかった。なんなんだろうと、こんな自分が不思議でたまらなかった。
勝手なものだ。亡くなってしまってから甘えたくなるとか、側にいたくなるとか、結局実家には帰らず1人暮らしを選んだのに、本当に勝手な娘だ。
でも、ただただバカみたいに甘えたくなり、お葬式まで遺体の横で寝たり、母のお布団に入ったりして、子供に戻ったようだった。母とくっついていたいような。もう会えなくなるのが、寂しかった。
お葬式は亡くなった2日後で、その日は父の誕生日だった。父はそれを自嘲するようにお葬式の挨拶で話していた。
父はどんな気持ちだったのだろう。
田舎の人だからか、ウチの地域だけかもしれないけれど、死に対してドライだったりする。
人は運命が始めから決まっていて、死ぬ時は死ぬんだと、だから悲しいとかではないみたいなことを、父はよく言っていた。だから冷静に受け止めていたのだろうか。
加えて母は病気がちで、治るかわからない病気で、年齢と共に悪化していて、そんな中での母の死は、正直に言うと、やれやれおつかれさまでした、というような、少し肩の荷が降りたような安心感のようなものも感じられた。
これは側でずっと過ごしてきた家族や親族だからこそ感じる正直な気持ちでもある。
といって、私は、やはり安堵感ばかりでもなく、亡くなってしまったという衝撃や焦燥感や悲しみが押し寄せて、よくわからない感情だった。
お葬式が終わるまでは近所の人の対応とか、いろいろ用事もあるし、淡々としている自分もいたり、
といって、部屋にある母の写真を直視できない自分がいたり、変な感情だった。(そこに母がいるような生々しさがグッと胸に迫って、しばらく写真は見れなかった。)
結局、母は転んで怪我をして亡くなったのではなく、外気温とコタツの温度差による心筋梗塞だった。痛そうな気配も全く感じられない、いつもの寝顔のような安らかな顔をしていた。