なつのゆめ
クーラーの温度は十九度。毛布に包まりテレビを見つめる。テレビでは、汗と泥にまみれた高校球児たちが躍動していた。私も20数年前は球児として地方大会を戦った、結果はベスト4で夢敗れた。近くて遠い。そんな言葉が当てはまる、聖地。そこでプレイする球児達と、アルプス席から応援する仲間たちは1人残らず輝いて見えた。
本日の第二試合、伝統校と初出場校の試合。整列する両校の選手達。伝統校の選手達は体格がよく精悍な顔立ち。一方、初出場校の選手たちは、まだあどけなさが残りどこか緊張した面持ちである。試合開始のサイレンを聴きながら、そろそろシャワーでも浴びようかと、毛布からゴソゴソ這い出した時だった。窓の方から虫の羽音が聞こえて来た。カーテンは閉めっぱなし。どうやらその羽音は、カーテンと窓の間から聞こえて来るようだ。いつの間に入り込んだのだろう?考えられるのは、昨日の夜に取り込んだ洗濯物。まだ畳まず山積みにしている。もしかすると、そこに紛れ込んでいたのかもしれない。というかどんな虫だろう。カーテンを開けてしまえば、簡単に正体はわかるだろう。だが、それと同時に解き放つ事にもなる。虫であることは分かった。たまに羽音と、窓にコツコツあたる音が聞こえてくる。季節柄、カブトムシやクワガタなのかもしれない。私は、怯えている自分に笑けてきた。そして、テレビからは大歓声が聞こえる。吹奏楽では、某プロレスラーのテーマ曲が演奏されている。私も高校時代に、同じ曲で打席に立ったことがある。そのプロレスラーは、元気があれば、なんでも出来る。と、よく言っていた。元気な私は、某プロレスラーの曲に後押しされて、カーテンを開ける決心をした。「ふふっ」と鼻で笑ったあとに私は、何も考えずカーテンをさっと開けた。そしてそこに居たのは、スズメバチだった。その中でもサイズの大きいオオスズメバチ。一瞬、時が止まったような気がした。そしてふと我に返った私は、さっきまで包まっていた毛布へ引き返し、再び包まった。
どうすればいいのか…。とにかく怖い…。なんで、カーテンを開けて確認してしまったのか…よくよく考えたらそのまま閉めっぱなしで、窓を開けて外へ出してしまえばよかったのだ…
私は、毛布に包まりながら考えた。このまま毛布に包まりながら、スズメバチが弱るのを待つのか。しかし、もしかすると毛布の上からでも襲って来て刺されるのではないか。私は、毛布の中で悪寒を感じた。恐怖のせいもあるが、少し部屋を冷やし過ぎたようだ。もしかすると、スズメバチも冷房で冷やされて弱っているのではないのか?私は、ふとそう思った。再び、テレビから大歓声が聞こえた。その歓声は私を奮い立たせた。そして思い切って毛布から飛び出した。すぐさま窓の方へ目をやると、スズメバチが窓際のフローリングの上を歩いていた。私は、さっきまで包まっていた毛布を手に取ると、スズメバチの上に投げつけた。ボクシングであれば、リングに向けてタオルを投げると負けを認めたという事になるが、この場合は勝利を手繰り寄せるという事になる。スズメバチは毛布の中でどうなっているのか。ほんの少しだけ好奇心が芽生えたが、すぐに今やるべき事に集中した。私は、毛布でスズメバチを包んだ。そして、その毛布を持って窓を開け、そのままベランダへ放り投げ窓を閉めた。部屋の中から窓越しに観察していると、くしゃくしゃになった毛布の隙間から、スズメバチが這い出して来て飛び始めた。スズメバチはベランダでホバリングを続け、窓に近づいては離れるという事を繰り返している。また、部屋に戻ってこようとしているのだ。その行為は、まさに攻撃的で私はゾッとした。しばらくすると諦めたのか、スズメバチは青い空へと飛び立っていった。私は、冷凍庫からワイルドターキーを取り出し、トロトロになった液体をグラスに注ぎ、一口あおった。そして、葉巻に火をつけて煙を燻らした。テレビから、試合終了のサイレンが鳴り響いた。伝統校が圧勝したようだ。でも、泣きじゃくる初出場校の選手達の顔は、どこかほっとした表情に見えた。
寝苦しい夜だった。窓を開けて網戸にして床に着こうと思っていた。連日、クーラーの使い過ぎで体の調子が悪く、今夜はクーラーはつけずに寝ようと思った。だが、やはり寝つけずにいた。私は、窓を閉めてクーラーをつけた。温度は23度。部屋の温度が下がり始めた。私は、毛布に包まった。24時を過ぎた頃、ウトウトとし始めた。毛布が心地よくて、毛布に頬擦りをして瞼を閉じた。毛布はもう何年も使っていて、程よい柔らかさに仕上がっていた。
インターホンの音が暗い部屋に響いた。こんな時間に誰が?私が住んでいるのは、オートロックが付いたマンションで、来客者を確認するためのモニターも付いていた。いつもなら、約束のない来客は確認すらしない、しかし時間が時間だけに緊急の来客かも知れない。それか、酔っ払ったマンションの他の部屋の住人が押し間違えたのかも。気になった私は、モニターを確認した。するとそこには、若い女性が1人映し出された。誰??私は、友達は指で数えるほどしかおらず、まして女性の友達なんて1人もいない。女性は、モニター越しに私の事をじっと見つめている。まるでモニターの前に私がいるのを分かっているかのようだった。色白で、髪型はショート、服は黄色と黒のボーダーのTシャツ、ズボンは黒のレザーの短パン。なんか可愛い…思わず私は、モニターの応答ボタンを押してしまった。
「はい。」すると、女性はニコニコして「夜分遅くにすいません、ちょっと道に迷ってしまい、よろしければ一晩だけ泊めて頂けませんでしょうか?」
「えっ?」何を言ってるんだ?若い女性が、見ず知らずの独身男性の部屋に、飛び込みで泊まらせて欲しいと懇願するなんて。でも、笑顔が素敵で可愛い…飛んで火に入る夏の虫。まさにこのことか。私は、女性には奥手でこちらから、アプローチなど殆どしたことが無かった。告白も酒の力を借りなければ出来ないような男。そして、女性に頼まれたら断る事などできない。「それは仕方ない、まあ一晩だけなら。」昂ぶる気持ちを抑えながら、淡々と答えた。「やったー!」モニター越しに彼女の屈託のない笑顔が飛び込んできた。私は、オートロックのボタンを、スロットでビッグを引いて、最後の7を揃える時くらいの勢いで押して解除した。私は、ドアノブに手をかけて待っていた。すると、コツコツコツと早足で歩くヒールの音がマンションの廊下に響き渡る。ドアの覗き穴から外を見ると、あのショートヘアの女の子が颯爽とフレームインしてきた。やはり、めちゃくちゃ可愛かった。彼女は、ドアの外で斜め上の部屋番号を確認して、少しはにかんだ。私は堪らずドアを開けた。「わぁ!」彼女は、びっくりしていた。「あっ、、ごめんなさい」と私が言うと、彼女は、上目遣いで「えへっ」と笑った。一瞬、時間が止まった。そして頭の中で、昔流行った、トレンディドロマの主題歌のラブソングが流れた。そのまま、彼女を見つめた。彼女は「あの…中に入ってもいいかな?」だが私に聞こえてくるのは、ラブソングだ。「もしもーし!ねぇ!?聞いてる?」といいながら、私の目の前で右手を振った。その手を、高校時代に野球で培った動体視力で追いかけた。指は細く、白い可憐な手だった。私の中に響く、あのラブソングの音量は上がる一方だ。彼女は、「もう、帰ろうかなぁ」と少し口を尖らせて言った。私は、ふと我に返り「あっ!ごめん!さあ、上がって!」
彼女は、私の部屋の黒い二人掛けのソファーにちょこんと腰掛けた。投げ出した足が、部屋の照明に照らされて眩しかった。私の目は釘付けになり、そのまま動けなくなってしまった。「もう、どうしたの?」
彼女の膝も私を見ている。そんな気がした。「おーい!聞いてます!?」ようやく私は我に返り、膝から目を逸らした。「あっ、なんか飲むかい?」「うん、なんか私酔いたいなぁ」彼女は目を細めて、無邪気にそう言った。私は、私の中の女性に言われてみたいセリフランキング上位のセリフを耳にして、目をぱちくりさせてしまった。「あれ、もしかして?お酒飲めない?」彼女は眉をハの字にして聞いてきた。「めちゃくちゃ飲むよ!!」「じゃあ、飲も!」私は、冷凍庫からワイルドターキーを取り出した。そして、丸く形どられた氷を分厚いロックグラスに入れた。カランとグラスと氷が当たる音がキッチンに響く。そこへトロトロのワイルドターキーを注ぐ。トクトクトク…指で丸い氷をくるりと回して、そのまま一口。私の楽しみは、休日にお酒を飲みながら映画やYotubeを見ることだった。昔は、外に出て買い物をしたり、美味しいものを食べに行ったりしていた。だが今では、買い物はネット通販。美味しいものはデリバリー。映画も専門チャンネルで視聴出来る。外に出る必要がなくなってしまった。便利になった反面、何か物足りないのは確かだった。たまには、外へ出て買い物をしようと張り切ってはみるものの、その前にスマホで買いたいものをチェックする。するとそのまま販売ページへ飛ばされて、ポチッと購入してしまう。そして、結局何も起こらない一日を部屋で過ごしてしまう。ましてや部屋にいても、出会いなんて絶対にないはずだった。それが、まさか部屋で寝てたら、出会いが向こうからやってくるとは。私の目は、さぞキラキラ輝いていただろう。私は、葉巻を咥え、火をつけて煙をゆっくり吐き出した。「いやいや、一人で飲むんかいww」
彼女は、いつの間にかキッチンの入り口に立っていて、笑いながら言った。そして続け様に「しかも、葉巻てwwハードボイルドやな!」とツッコミを入れてきた。
私は、彼女とお酒を飲みながら幸せを感じていた。彼女はヘラヘラ?しながらも、少し鈍臭い私に鋭いツッコミを入れてくれた。まさに、蝶のように舞、蜂のように刺すだ。もし結婚したら、賑やかな毎日を過ごせるだろう。それに、子供達もきっと明るく育つだろう。未来を想像することがこんなに楽しかったなんて。私は、もっと稼いで楽させてあげなければ、育児休暇は必ず取ろう、車もワンボックスタイプのファミリーカーを買おう。など頭の中で想像してしまった。途中トイレに行った時、洗面台の鏡に映る自分の顔を見た。とても穏やかな顔だった。
彼女は、クーラーでキンキンに冷やされた部屋で少し寒そうだった。「毛布を借りてもいいかな?」私は、肩から毛布をかけてあげた。彼女は斜め下から上目遣いで「ありがと」と言った。それを斜め上から見た私は、少し目を逸らして頭を軽くポンポンした。彼女は少し照れた表情をして、毛布を頭から被った。「なんか、落ち着くぅ」毛布の中から、彼女は言った。あゝ可愛いなぁ…夢に思い描いてきた、「もし、彼女ができたらやってみたい事」を、次々と実現してくれる初めて会う女性。最高だなぁ。
私達は、いわゆる流れでキスをしていた。まるでハチミツのように甘いキスだった。すると彼女は、「甘い?昼間にミツバチ食べたんだぁ」と言った。僕は「ミツバチじゃなくてハチミツでしょwでも、健康に気をつけてるんだね」すると、彼女は「もう、大好物!でも、たまにやられそうになるけどねw」僕は「まあ、食べ過ぎもよくないからね」
彼女「だってさぁ、あいつら束になって襲ってくるんだもん」
僕「えっ??」
彼女「次から次へと上から覆い被さって来て…なんとか振り解いてやったけどね」
怒りが込み上げて来た。ハチミツを食べようとしたら、よくわからない連中に襲われたらしい。僕は「もう、大丈夫だから。なんかあったら、俺が守るから」と彼女の頭をポンポンしてあげた。彼女はニコニコしていた。この世の中は、なんて物騒なんだ。ハチミツも安全に食べれないなんて。私は、腕っぷしには自信があった。地下格闘技のチャンピオンであったし、秘密裏に政府に雇わている組織にも所属していた。人を殺めた事もある。もし、彼女が襲われている場面に遭遇したら…加減など出来ないだろう。今まで、国を守る為に手を汚して来たが、これからは彼女を守る為に全力を尽くそう。彼女の笑顔を見て、そう誓った。
彼女は相当寒さが苦手らしく、毛布を離さなかった。そして、うとうとし始めた。「眠たい?」と聞くと、彼女は「うーん…」と答えた。私は、毛布ごと彼女を寝床へ運んだ。そして、テーブルの片付けをしようと立ち上がろうとした。その時、彼女がTシャツの裾を掴んで「一緒に寝よ」と言って来た。私は、何も言わずに毛布に潜り込んだ。
私は、目を見開くように起きた。最高に充実した朝だった。そして、腕枕をしている彼女の額にキスをした…いや、しようとした。でもそこには彼女はおらず、デカいバケモンが横たわっていた。黄色い顔、大きな触覚、丸く怪しく光る目、鋭い牙。そいつは、蜂のバケモンのようだ。
夢なのか?私は、頬をつねったり舌を噛んだりした。どうやら、夢ではなさそうだ。とにかく、腕枕をしている右腕を引き抜かなかければ。私は、最新の注意を払いながら、右腕をバケモンの頭の下からゆっくり引き抜いていく。バケモンの口がたまにカチカチと音を立てている。右腕は何とか無事だった。私は深呼吸をした。すると、バケモンの触覚が動き出した。ヤバい起こしてしまったかもしれない。しかし、また触覚がゆっくり倒れた。今度は、私はじっとしていた。そしてゆっくりと距離を取って行く。危険なものからは距離を取る。それが最善だ。目指すは、キッチンのシンクの下の収納スペース。そこに、護身用のベレッタがある。ぶっ放して木っ端微塵にするしかない。もちろんサイレンサーも装着している。「ゴトッ」と音がした。私は、床に置かれたワイルドターキーの瓶を倒してしまった。少しだけ入った中身が、瓶の中で揺らいでいる。バケモンの方に鋭い視線を向けると、バケモンは顔をこちらに向けて寝ていた。起きているのか?いや、わからない。人の様に眼球があるわけではない、ダークブラウンのツルッとした部分が目であろう、どこを見ているかはわからない。するとバケモンは、横になったまま、首を起こして左手で頭を支えて、「カチカチカチカチ?」と鋭い牙を鳴らした。何を言ってるかは、わからない。どうやら、バケモンは、まだ自分がバケモンの姿に戻っていることに気付いていないようだった。とにかく私は、平静を装いながら「おはようw」と返した。すると、バケモンは半身を起こして「カチカチカーチw」といいながら、数本の手を上に伸ばした。いや、前足か。きっと伸びをしているんだろう、でも私には、バケモンが身体を大きく見せて威嚇してる様に見える。伸びをしたおかげで胴体まで見えたが、スズメバチだ、スズメバチのバケモンだ。「カチカチカチチ?」と、バケモンは何か言ってる。私は「お腹すいたでしょ?」と言ってみた。バケモンは「カチチチ!カチカチッチww」と答えた。なんとなくだが「もう、ペコペコ!ハハハw」と言ってるように感じた。「じゃあ、今から朝ごはん作るね」というと、バケモンは何も言わずにこちらを見つめている。ヤバい、返事を間違えたのかもしれない。私も、バケモンを見つめた。もし、襲いかかってこられたら、どうする?私は、足元に転がるワイルドターキーの空瓶をチラッと見た。これを武器に戦うしかない。張り詰めた空気のなか、バケモンの目を見つめた。光沢のあるブラウンの目に、覚悟を決めた自分の顔が映る。すると急に「カチカチカチカチ!カチカチッチチチ〜w」
と牙を鳴らしながら、バケモンが前足で毛布を叩いたり、持ち上げたりして暴れ出した。緊張が走る。私はバケモンから視線をそらさず、ゆっくり屈んで、ワイルドターキーの空瓶を掴んだ。そして、そのまま攻撃に備えた。いや、これは喜んでるのか?うん、喜んでる様だ。毛布はバケモンの爪により、もうボロボロだ。私は「楽しみにしてて」と言い残して、ワイルドターキーの瓶を手に持ったままキッチンへ向かった。
キッチンに移動してすぐに、私は頭の中の整理をした。昨日の夜訪ねて来たのは、超絶可愛い女の子だった。なのになぜ?スズメバチのバケモンに入れ替わった?いや、待てよ…スズメバチ?確か、昨日の昼間に部屋に迷い込んでいたスズメバチ…外へ出した後も攻撃しようとして、窓の外でホバリングをして、部屋へ入って来ようとしていた。アレだ。絶対アレだ。そう言えば、昨夜ミツバチを食べたって言ってた。その時に集団に襲われたって。それは、ミツバチがスズメバチを攻撃する時の方法で、集団で覆い被さり、熱でダメージを与えるのだ。確か、熱殺蜂球と言われている。私は、てっきりハチミツとミツバチを言い間違えたと思っていたが、そうではなかったようだ。襲われたと言っていたが、逆にミツバチを襲っていたとは。しかし、なぜ?投げつけたからか?こっちとしては、生かして逃してあげたつもりなのに。
シンクの下の収納スペースの観音開きを開けると、そこには新聞紙に包まれた塊があった。私は、新聞紙を破りベレッタを取り出すと、一緒に包まれていたサイレンサーを装着した。そして、そっと部屋へ戻った。するとバケモンは、毛布に潜り込んでゴソゴソしていた。毛布の中から「カチカチカチチチカチチチカチカチ」と音がする。何をしている?でも、今しかない。私はそう思い、ベレッタをぶっ放した。シュッ。ュッ。と静かにベレッタの弾がめり込む。毛布から数カ所、細い煙の柱がゆっくりと登る。動かない。仕留めた。私は、毛布に手をかけた。すると「カチチチチチチチッ!」と物凄い音を立ててバケモンが毛布を跳ね退けて飛び出した。そしてブォーンとデカい羽音を鳴らして宙に浮いた。前足で、スズメバチの巣を持っていた。どうやら毛布の中で作っていたようだ。尻のデカい毒針が私の方を向いている。スズメバチは二回刺されると猛毒で、アナフィラキシーショックを起こす。私は、初めてだからその心配はないか。と思っては見たが…こいつの場合猛毒というより、物理的に体に穴が開いちまう。私は、すかさずベレッタの残りの弾をバケモンの胴体へぶち込んだ。シュッ。シュッ。シュッ。胴体から緑色の液体が漏れ出る。しかしバケモンはまだ、宙に浮いたままだ。もう、弾がない。そう思った瞬間に、バケモンがケツから飛び込んで来た。避けた。毒針は壁に突き刺さる。突き刺さった場所から黒い液体が流れている。バケモンは突き刺さったまま、背中をこちらへ向けていた。身動きが取れないようだ。私は、ワイルドターキーの瓶を探した。しかし、さっきキッチンに持って行ってしまっていた。時間がない。私は、素手で殴りかかった。しかし硬い。私の拳は簡単に折れた。次は蹴った。蹴って蹴って蹴りまくった。やはり硬い。ゴキッ…と脛が折れる音がした。もうダメだ。そうだ触覚だ。そう思い、バケモンの後ろから触覚を掴んだ。するとバケモンは、持っていた巣を落とした。効いている。だが、拳を痛めている私の握力は弱い。なかなか、致命傷を負わす事は出来ない。バケモンは羽の力で背後の私を吹き飛ばした。吹き飛ばされた私は、なんとか受け身を取った。しかし、私は虫の息だ。バケモンの方を見た。すると床に落ちた巣が、怪しく光だしていた。ヤバい。何かが、何かが起こりそうだ。何かは、わからない。巣の怪しい光が眩さを増していく。何かが起こる前になんとかしなければ。私は痛めた脛の事など、もう忘れていた。無我夢中で巣へかけより素早く掴んだ。そして窓を開けて思いっきり遠くへ投げた。私は高校野球をやっていた時、外野を守っていた。強肩だ。巣は、遥遠くへ消えた。何も起こっていなければいいのだが。後は、バケモンをなんとかしなければ。と踵を返そうとした瞬間だった。背中に、衝撃が走った。口の中に苦いものが溢れる。腹を見ると、背中から刺された毒針が貫通していた。針の先から黒い毒がしたたる。バケモンは前足で私の両肩を掴んで、さらに毒針を突き刺した。意識が遠のいていく。私は、瞼をゆっくり閉じた。すると、背後から「本当は、恩返しに来たんだよ。もう!」と彼女の声が聞こえた。
右腕に柔らかい感触。彼女を腕枕していた。優しい寝息をたてて寝ている。夢だったのか?部屋を見渡したが、争った形跡はない。拳も、脛も、腹もなんともない。もう一度彼女を見ると、起きてニコッと笑っていた。私は「変な夢を見たよw」と彼女に夢の話をした。彼女は「もうwそれネタでしょ!」とめちゃくちゃ笑っていた。「そんなことより、お腹すいた〜」と彼女が言った。「じゃあ、なんか作るよ」と私が言うと、毛布を叩いて喜んだ。
私はフレンチトーストを焼きながら、彼女の喜ぶ顔を想像した。そして、葉巻を口に咥えて火をつけた。昨日飲んだ、ワイルドターキーの瓶を眺めた。いつの間にキッチンに持って来たんだろ。「ねぇ、まだ〜?」と彼女の声が聞こえる。まあ、いいっか!彼女がつけたテレビから、試合開始のサイレンが鳴り響いた。