のぐみぃ

道重さゆみと『僕のヒーローアカデミア』を愛してやまない、IT業界のマラカス担当。 猫のお尻を追いかけるのが日課。 いつでもどこでもプー太郎。人生はエブリデイ。

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道重さゆみと『僕のヒーローアカデミア』を愛してやまない、IT業界のマラカス担当。 猫のお尻を追いかけるのが日課。 いつでもどこでもプー太郎。人生はエブリデイ。

最近の記事

DEIは絆創膏を剥がしてくれる

島本理生の『ファーストラヴ』を読んでいた。 物語自体も面白かったのだが、朝井リョウの解説もまた良くて、わたしがDEI活動をするきっかけを思い出させてくれたので、そんな話を綴ってみようと思う。 *少しだけ作品の中身に触れるので注意 朝井リョウが 「想像することをサボれば、自分とは別の肉体が生きる景色を知ることはできない。……自分ではわからない気持ち、自分だけでは辿り着くことのできない感情を教えてくれるものだと実感した。そしてそれは、自分とは異なる肉体が歩む道を想像するスイッ

    • 飲み会の、傷モノ。

      飲み会はむずかしい。 ちょっと失礼しますね、と席を立った10秒後に訪れる、孤独。 自分の発言を反芻し、トイレの中で過ちがなかったかどうかを確認する。演劇だったら舞台袖でおこなうその作業は、自分が役者として二流であるという、都合の悪い現実を思い起こさせる。 そんな現実に抗うように、飲む。酔いの回りがはやいわたしの体は便利だ。失態を失態と気付けないくらいに、日本酒1杯で判断力を鈍らせてくれる。 じゃあねと別れたあとの、やけに大きな音をたてて耳元を通りすぎる夜の風。 帰りの満員

      • アカデミックと社会のはざま

        10年前の回顧録。 アカデミックの世界から現実社会に放り出されてすごく苦労した話。 どんなにDE&Iが進んでいると言われる会社でも、学問の世界で掲げるそれとは比べ物にならないと思う。 もう10年前か。学問として人種とジェンダーを学んできたけど、社会に出てみて、現実社会は100年、いや200年分くらいおくれてる、と感じた。 ちなみにわたしの学んだマイノリティ論は10年も前のものだけど、10年という年月をもってしても、いまの現実社会のほうがはるかにBehindだと思う。 ※弊

        • 「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part3)

          自分が嫌い。 いなくなればいいのに。 消えてしまいたい・・・そのほうがいくらか二酸化炭素の排出は減らせるし、地球も社会も良くなるんじゃない? そんな思いを、常に心の奥底に持っていた。 2回目のメンタルダウンの原因は間違いなくそれだった。 そして、その思いを手放すことができるようになった経緯をつづっていきたいなと。 恥ずかしながら、2回目のメンタルダウンの引き金を引いたのは、当時お付き合いをしていた彼に三股をかけられていた・・・というのが発覚したことだった。 ショックだっ

          わーん。note書けてなーい。次のテーマが本題のSelf Acceptanceだからかな。大好きで大切なテーマです。

          わーん。note書けてなーい。次のテーマが本題のSelf Acceptanceだからかな。大好きで大切なテーマです。

          「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part2)

          わたしは医者ではない。だから、これはあくまで持論だけど、メンタルダウンの仕組みはコップと水に例えるとわかりやすいと思う。 コップが満杯になると水が溢れる。そのコップの容量、水の溜まりやすさ、はたまた、どんなことで水が溜まるのかはひとによって異なる。そして、うつの再発率は回を重ねるごとに上がっていく(これは厚労省のデータで出てる)のだけれど、コップの容量が少しずつ小さくなっていくイメージ。1回目の時は疾病に至らないような出来事でも、2回目、3回目はコップがそもそも小さくなって

          「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part2)

          【閑話休題篇】自分に点数をつけるのをやめた話

          思い返せば小学6年生の時に、良くない成功体験を得ていた。 当時は今ほどADHDなんて言葉は知られていなくて。母はわたしがものをなくしたり落としたりするのが何故なのか理解できなかったのだと思う。 気をつけろと何度注意しても大切なものをなくして帰ってくる娘に対し、よく癇癪を起こしていた。 「異常だよ」 「きちがいなんじゃないの」 なんて、よく言われていた。 泣き虫だったわたしは、言われるたびに泣き出したものだから、母はそれを見て更にイライラしてよく怒っていた。 今ならわか

          【閑話休題篇】自分に点数をつけるのをやめた話

          「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part1)

          忘れ物や失くしものの多い子供だった。教科書やランドセルだけじゃない。家の鍵から保険証まで、何度も落としたり失くしたりした。整理整頓も苦手。通知表には必ず忘れ物の多さが記されていた。 「気をつけなさい」 何度も何度も聞いた言葉。自分なりに気をつけるけど、やっぱりまたものを失くす。それがADHDの特性だったと気がつくまで30年近くかかったわけだけど、それまでは自分の「努力不足」なんだと思ってきたし、多分周りもそう思っていたんじゃないかな。 勉強はできた。なのに。みんなが当たり

          「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part1)