闘ってきた
家内のケースは、かなり異例です。抗がん剤治療がないのは不幸中の幸いとしても、癒着の影響がレントゲンやCTでは分からないので、痛みをどう防げばいいのか明確な答えがないのです。明らかに避けるべきは、便を溜めないことです。そこで食事量には非常に神経を使い、便が出ない場合は下剤を使ってでも出しました。
下剤もいろいろな種類を使いましたが、明らかに家内には合わないものもありました。
試行錯誤の繰り返しです。
試行錯誤は、病院に対しても同様です。様々な胃腸専門の病院にも行きましたが、大したアドバイスはありません。家内が読んだ本をきっかけに行った病院の排便外来にも行ったところ、精神的なトラウマがあるから心療内科を受診した方がいいとも言われました。どこに行っても何も得るものがない繰り返しでした。
病に向き合うことは、自分自身との闘いだと思います。人の体内では、常に免疫細胞ががん細胞と闘っています。闘い方は人それぞれです。
母の場合、脳梗塞による左半身不随から、リハビリを通じて日常生活に近づける努力をしました。
父の場合は、末期がんのため抗がん剤治療となり、副作用に悩まされたつつも仕事はやめずに治療を継続しました。
どちらも心臓の発作が原因で苦しみから途中解放されたのはよかったかもしれません。本人も苦しみ続けるのはつらいし、接する家族も同様です。
病への向き合い方の事例をひとつ紹介します。氣圧療法ができる方で、よく家内の首や肩こりの治療をしてもらいました。
その方は、肺がんの手術をした後、副腎に転移しました。転移が判明した後、抗がん剤を含めた一切の治療を止めて身辺の整理を開始しました。
私たちはその事実を知らずに、病状が気になって亡くなる4か月前に連絡を取って3回面会しました。状況を受け入れ、じたばたする様子はありませんでした。
その方は自分の家族がいないので事前に姉と姪に自宅の荷物整理をお願いし、自分は病院で死を受け入れていました。親類に迷惑をかけず、しばらくして静かに息を引き取りました。
自分に起きたすべてを受け入れた潔い生き方として、私たちの記憶に深く残っています。
病を患っている方は状況を様々な形で受け入れながら、生と死に向かって闘っています。まさに「闘病」です。
次の春を迎え、引っ越すことにしました。がん治療でお世話になっている専門病院は引っ越し先から遠くなるため、別の県の専門病院に転院しました。最後の診察では執刀医は急用で別の医師が担当したのですが、その医師は家内に向かってこう言いました。
「よく闘ってくれました」
この一言で救われた、と家内は思ったそうです。
なぜなら、家内はこの言葉を聞いて、これまでの事がすべて繋がった感覚を受けたとのこと。
命と向き合って闘ってきた。
縫合不全から腹膜炎になり生死を彷徨いながらも奇跡的に生き還り、その後苦しい道をひたすら歩いて家内は自分自身と闘ってきたのです。
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