乃木坂が失ったもの
最近乃木坂がおもしろくないと感じる人もたくさんいると思う。それは僕たちが1期生や2期生がいる乃木坂を知っているからではないことは承知の事実である。今の乃木坂に足りていないのはあの頃のメンバーではなく感情の共有でしかないと確信するようになった。
①目標がない
今の乃木坂46には目標がない。まずこの感覚がない人はグループアイドルを応援するのはあまり向いていないかもしれない。グループアイドルの醍醐味は推しを選べることではない。複数のメンバー、たくさんのファンが同じ目標に向かって進む瞬間。そして目標を達成した喜びをライブで共有する。これが一番の醍醐味だ。いわゆるエモいに該当するのはこのような瞬間か過去を振り返ったときだろう。しかしながら今の乃木坂46に目標はない。個人ではいくらでもあるだろう。選抜入りをしたい!雑誌の表紙を飾りたい!お芝居をたくさんやってみたい!どれも大きな目標ではない。自分の仕事をすることがチームの役に立つとよくスポーツ選手は言うが、あれは勝利という共通目標があるから初めて成り立つのだ。乃木坂46にはない。あの頃の紅白歌合戦に出たい!東京ドームに立ちたい!日本一のアイドルになりたい!全部叶えた。それほどすごいアイドルグループだったのか。感心してしまう。天下を獲ったアイドルは目標を失い、フラフラとしている内に下から突き上げられて終わってしまわれる。
②メンバーとファンがバラバラ
コロナ渦でコールという文化が封印された。様々な人がまだ現地でコールをしたことないと嘆く。そんなことよりも問題なのは本当に価値のあるライブを知らないことだ。ここ数年のBirthday Liveなどただの動物園だとさえ錯覚する。2月が来たからたくさん歌う。たくさんコールする。いわば作業でしかない。楽しむのは結構だがそこに感情の共有はない。僕が歴代最高のライブと位置付ける「真夏の全国ツアー2015 FINAL」は感情に溢れている。ライブ前日に座長生駒里奈が初の福神落ちが発表され、始まった太陽ノック。その後生駒里奈センター楽曲が続いた。あれは単なる演出ではない。生駒里奈が約4年で培ったすべてを出し切っていた。そして初森ベマーズコーナー。今ではネタのように扱われているが、あの当時の青春の記録でしかない。メンバーがひたむきに頑張り続けている姿がそのまま伝わってくる。スポ魂というだけあって、泥臭さがたまらない。最後に待ち受けるのは乃木坂らしさを追求するコーナー。生田絵梨花のピアノ伴奏に合わせて歌いきった。この瞬間に神宮球場が一体になった。そして自然に生まれたダブルアンコール。すべてが乃木坂らしさという目標に向かって走り続け、全員の想いが一致した瞬間だった。この気持ちを今のオタクは味わえるだろうか。残念ながら無理だろう。目標がないのだから。
③ひとつになるために
実質空中分解状態の乃木坂をまた一つにするためにはスキャンダルを起こさないのようなしょうもないことは置いておき、一番はこちら側にあるだろう。アイドルはファンを楽しませることに努力を惜しまない。ならばこちらが満足してはいけないのだ。いつまでもただ供給される画像を高画質化して配布して群がっている場合ではない。写真集を期待してる場合ではない。今の現状に満足することなくメンバーを間接的に触発させなくてはいけない。このメッセージは「夜明けまで強がらなくてもいい」を理解できれば簡単な話かもしれない。