高校に潜入してみたら、日本の子供への評価の仕方について考えさせられた話@ニュージーランド
ども、のぎです。
のぎのホストファミリーには高校生の息子さんがいるのですが、この前その子の学校行事に家族で参加するぞ!とのことだったので、同行させてもらいました。
ニュージーランドの高校に潜入や!
と楽しみにしながら行ったのですが、行事を通していろいろと発見があり面白かったので、今日はそのときのお話を。
この日参加したのは高校のprize giving という式でした。
のぎもしっかり理解していないのですが、学年が終わる頃に1年間の専攻した科目の単位認定や成績優秀者の表彰、課外活動での功績などを保護者も含めた関係者みんなの前で表彰する式のようでした。
まあ、終業式と卒業式のミックスみたいなのと思ってもらえれば大丈夫です。笑
式は学校の体育館で開催され、けっこう厳かな雰囲気でした。
椅子などがきれいに並び、中も少し装飾され、壇上にはトロフィーなどがセットされ、なんだか自分の卒業式を思い出しましたね。笑
ちなみに、ニュージーランドの体育館も日本と同じように前にステージがあり、校歌みたいなのがその横にかかげられていました。
背面には歴代の卒業生で今も活躍している人のことが紹介されています。
ここは日本と違うかもしれないですね。
いろいろと写真を撮ろうとしたのですが、厳格そうなムードだったので、びびって撮れませんでした。笑
式は進行役の人の挨拶から始まり、生徒のハカの踊りにより、先生が入場から始まります。
まずこのとき、
え、ここでハカ出てくるの?
そして、
入場してくるの生徒じゃなくて先生なんかい!笑
と驚きました。笑
さすがニュージーランド。
ラグビーのオールブラックスが試合前にパフォーマンスすることでも有名なハカですが、 学校単位の行事でもやるようです。
学校の授業でもやるみたいで、ハカの単位を認定されている生徒もいました。それだけ国にとって大切で、浸透している文化なんだなぁと感じます。
生で初めて見たハカは、体育館の中でやったこともあり、躍り手の足音や叫び声が響き渡っていて迫力があります。感動しました。
その後、校長先生の話?式辞?みたいなのが行われ、退任される先生?の話へと続きます。(英語が聞き取れなず、誰の話なのか、なんの話なのかさっぱりわからなかったので、のぎの推測です笑)
この退任される先生?の話がなかなかに長かったのですが、この先生は生徒とのエピソードなどをユーモアたっぷりに話し、モノマネなども盛り込んでいて、会場中から笑いが起こっていました。
話が終わると会場からはスタンディングオベーションが。驚
のぎはスタンディングオベーションを初めて経験したのですが、まさかおばちゃんのスピーチで経験することになるとは。笑
しかも、英語が聞き取れなくて、どこが笑えるオチだったのか全然わからなかったし。悔しい。笑
ただ、保護者がたくさんいて、厳格そうな雰囲気のなかで、あんなにモノマネを盛り込んだりして笑いを誘うスピーチが許されるなんて、会場の雰囲気が暖かいなと感じました。
日本だと「ふざけてるのか!」とあとで保護者からクレームでもきそうなものなのに。
保護者も生徒も先生も楽しそうに聞き入っているところが驚きでした。
しかしこの光景を見て、
本来生徒のためにあるはずの式典なら生徒が喜ぶようにすればいい。もしくはその場にいる人が喜ぶ、楽しめるようにするのがいい。こうした暖かい雰囲気でみんなが喜んでいるっては素敵だなぁ
と感じました。
日本は形にとてもうるさいと思います。
来賓の前でなんてことを!とか、伝統が~とか。
もっとこれくらい自由でオープンならいいのにと思いました。
先生の話が終わると、ブラスバンドによる演奏が挟まれます。
ボーカルがいて歌までつき、まるで吹奏楽部の講演会のようです。
そして終わったらみんなで拍手。
これもまた面白いなと感じました。
日本だとピアノだけの演奏とか、生徒の合唱(固い曲)なのに。
ちなみに、今回の式では全生徒による合唱はなかった。
合唱って文化はここではないのかな?
これまた文化の違いに驚きます。
演奏の間に、壇上では次の表彰の準備がされていました。
そして演奏が終わると、この式のメインであるprize givingが行われます。
授与されるものは生徒一人ずつの修了証?や部活のトロフィー、奨学金の許可証など幅広かったです。
この式の中だけでも25の賞が用意されていました。
学業に関しては一人ずつ修了した学問が読み上げられ、証書が渡されます。
まるで卒業証書授与のシーンのようです。
このときだけは、その生徒のこれまでの頑張りを会場にいるみんなで称えます。
その他の賞もその生徒の頑張りに対して表彰され、みんなが拍手を送り称えます。
のぎは、この光景がなんと暖かくて素晴らしいんだろうと感じました。
生徒が修了した科目には個人差があります。1つだけの子もいれば、3つ4つやそれ以上とっている子もいます。そして成績優秀者はさらにすごいねとなります。
しかし、ひとりひとりの生徒に送られる拍手の量は同じです。
保護者は、たとえ自分の子よりも人の子の方が多く修了していたり、成績が優秀であっても、あくまでその子におめでとうと言ってあげているようでした。
当然自分の子に対してもおめでとうと拍手を送っています。
みな、誰かの子と自分の子を比較するわけでもなく、壇上にいる一人の生徒が頑張り、表彰されていることを祝うのです。
修了した科目はみんなばらばらでした。
全く一緒なんて子はほとんどいません。
これは、個人の努力を評価している、きちんとその子として見てあげている証拠ではないでしょうか。
表彰される生徒には誇らしそうに胸をはっている子もいました。
そのときだけはその子が壇上の主役なのだとわかります。
この光景が日本とは違うなと感じます。
どこかで聞いたことがありますが、主役が何人もいる劇や、かけっこに順位をつけないなど、日本では他と比較することを嫌う人がいます。
この背景には、もし誰かが特別だったり、表彰されるなどなると、「差別だ!」や「うちの子にも!」という保護者の声があるのだと思います。
きっと保護者の心情は、よく言えば「うちの子どもに人と違う思いをさせたくない」ということかもしれません。
(もしかしたら、「うちの子が他の人の子に負けてるところなんて見たくない」とかもあるかもしれませんが、、、)
しかし、これって自分の子どもをきちんとその子として見ていないことの現れではないでしょうか?
はじめから自分の子を、きちんとその子として見てあげられていたら、
たとえ劇で主役でなくても、
たとえ他の子よりもかけっこが遅くても、
たとえ他の子の方が成績がよくても、
自分の子によく頑張ったねといってあげられるはずです。
だって、きっとその子なりに頑張っているのだから。
他と違わないように、みんな同じようにという日本の文化は、もしかしたら個人を他者と比較しすぎていることの現れかもしれません。
きちんと個人を個人として見ていないことの現れかもしれません。
こうした日本の文化を考えると、よりいっそうこのときのニュージーランドの学校の姿が暖かいなと感じました。
うちの子はこれで頑張った。
あの子はこっちで頑張った。
どちらもよく頑張ったね。
どの保護者も嬉しそうです。
そこに勝ち負けや見栄などはなさそうでした。
一人一人を認めているのでしょう。
きっと生徒は、照れくさいながらも自分のことをしっかりと見てくれていると感じているのではないでしょうか?
こうしたことの積み重ねが、生徒の自己肯定感を高めることに繋がるのかもしれません。
日本の若者(自分も含め)はやりたいことがない、わからないなんて人が多いのではないでしょうか。
それはもしかしたら、自分に自信がないからかもしれません。
教育機関がもっと生徒の自己肯定感を高められるように機能すると、生徒は自分に自信を持って、やりたいことに一途になるかもしれません。
そしたら、やりたいことがないなんて若者は減るのかもしれないなと感じました。
ひとりひとりの生徒におめでとうと思いながら、こんなことを考えていたのぎでした。
ちなみに、式が終わったのは21時過ぎ。
始まったのも19時からでした。
遅すぎるわ!とも思いますが、この時間帯だからこそ平日でも仕事終わりに保護者が参加できるのかな。
いろいろとカルチャーショックの大きなイベントでしたが、学ぶことも多いなぁと感じました。
他の国でも学校にも潜入してみたいな笑
それでは~