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猿でも分かる、突発性難聴の治し方

結婚前の30代、「突発性難聴」という疾患に襲われ、左耳が突然聞こえなくなった。治療法は仕事を休み、入院してベッドの上で安静に過ごし、1日2本のステロイド剤を点滴投与するというもの。効果があろうが無かろうが2週間の入院が最後の治療となる。京阪淀駅近くのO病院にベッドの空きがあり、即入院した。

耳の疾患はあるとはいえ、基本、健常者である。30歳半ば過ぎの大の大人には入院生活は退屈すぎた。「暇」が何よりも苦痛である。酒もタバコも固く禁じられており、楽しみといえば自ずと食べることにシフトされていった。食事前にはそわそわし、食後は病院食の少なさに憤りを隠せなかった。やることがないとお腹が空いて仕方がない。よく早朝病院を抜け出し、駅近くのコンビニでサンドイッチやらおにぎり、大量のお菓子を買い込み、こっそりと隠れて食べていた。外出は禁止されてはいたが、多少のスリルも退屈しのぎには役立っていたかもしれない。

そんな入院中の相部屋を担当されてた看護師は、Sさんという40歳くらいの小柄な女性。口うるさいが、サバサバした物言いが小気味いいフロアでは大人気のお母ちゃん的存在だった。勘のいいSさんの目を欺ける訳などもなく、買い食いはすぐにばれ、よくお説教を受けていた。買い食いそのものよりも、絶対安静のベッドを抜け出す事を問題視されていたが、最後には「もう!仕方がないなぁ」とお目こぼしを頂いていた。

入院してから1週間ほど経ち、一旦、大掛かりな検査が行われた。治療の結果を期待したが、残念ながら一向に回復の兆しは見られない。相変わらず何も聞こえていない状態が続いている。残された時間はあと1週間。目の前が真っ暗になる気分だった。向き合った医師とのまんじりとしたやりとりがたまらなく辛くて、多少ヤケになっていたかもしれない。誰だって諦めてしまい心が弱くなる時がある。そういう状態のとき、人にはふと魔が刺したりする。私服に着替え、何も考えず駐車場から車で病院を抜け出す自分がいた。

車内に置いてあったタバコをふかしながら、車は目的もなく国道へと向かっている。一号線に入り、飲食店が軒を連ねているのを見て唐突にたかばしの新福菜館本店さんでラーメンを啜りたいと思った。今ほど多彩なラーメン店が無かった時代、自分はたかばし二店とラーメン藤さんがホームグランドで、中でも新福さんが一番のお気に入りだった。

たかばし周辺に車を停め、お店へと入る。何年ぶりかの「娑婆」を味合う気分だった。テーブルにはいつもの一杯が供される。ああ、この熱々の黒いスープがたまらない。麺をチャーシューで包み、一気で啜りあげる。これ、これ!これが食べたかったんだ!病院では絶対味わえない至福の一杯に口角が下がりっぱなしになる。調子に乗った自分は、絶対安静の入院患者であるということを完全に忘れている。そんな勝手な人間に、天罰が下らない訳がない。

小心者の自分はこっそりと病室に戻り、何事もなかった様に装うため急いでパジャマに着替えていた。するとベッドを取り囲むカーテンがシャーっと無情の音を立てて開き始め、そこには顔を紅潮させたSさんが、仁王立ちでこちらを睨んでいた。

「どこへいってたのっ‼︎ クルマで脱け出したでしょっ‼︎
 そんなことだからいつまでたっても治らないのっ‼︎」

大の大人の男性を、ここまで真剣に叱ってくれる人など今時いるだろうか。激しい叱責はこちらの事を思えばこその気持ちの顕れで、言い返す言葉もなく、物凄く心配を掛けたんだと大後悔した。と同時にこのままでは本当に治らないと思い直し、真面目に治療に取り組むとSさんに約束した。その時点から買い食いをやめ、ベッドから極力離れない様にして件の治療に専念する様に努力した。Sさんのあの哀しい目だけは、二度と見たくなかった。

「あれ、良くなってきてるね」

2日後の検査で医師は驚き、ありえないという顔をした。少しではあるが確かに音を感じ始めてる自覚があった。さらに2日後、それは顕著になり、少し掠れた感じはするが、大抵の音に反応出来る所まで回復していった。この疾病の場合、一旦聴力を失ってから治療してもほぼ回復する見込みが少ないと事前に聞いていたから、自分の中での喜びようは半端ではなかった。

退院予定の当日、最後の検査結果が報告された。一部、低音で聞こえない領域はあるものの、日常生活をする上では何ら問題のないレベルまで回復しており、しばらくはステロイドの中和剤を飲むだけで大丈夫、退院おめでとうとお墨付きを頂いた。

荷物をまとめる前、Sさんの姿を求め、ナースステーションに寄ってみた。あの時の彼女の叱責がなかったら、ここまで回復することは無かったと思うし、一刻も早く退院の報告とお礼が述べたかった。Sさんを見つけて呼び止めると、事情を聞いていたらしく、自分のことの様に喜んでくれた。もしもあの時、叱られずにダラダラ治療を続けてたら、こうはならなかったと思いますとお礼を云うと、結局病気を治すのは自分の力であって、あなたが頑張ったから結果が出たんだと思うよ、と入院生活後半を労ってくださった。

病院の駐車場に向かい、愛車のエンジンを回す。カーステレオからは地元FM局の看板嬢のキュートな美声が聴こえてくる。ああ、音の在る世界へと戻れたんだ...... 失くして取り戻した普段の日常が、キラキラと輝きはじめた。

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