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1・17、カップヌードルの思い出

もう随分と前の話だが、阪神淡路大震災のボランティアに誘われ参加したことがあった。年長のカメラマンと現像屋の若い営業マンと連れ立って、無料で被災者の方の証明写真を撮りにいくという。それ用のインスタントカメラとフィルムをメーカーさんが無償で貸与してくださった事もあって、早朝から各駅停車の阪急電車に乗って行けるところまで行ってみようということになった。現地の方達の足手まといにならないように、細心の注意を払って行動しようと確認しあい、車中の人となった。

電車は夙川駅までで、目的地の三ノ宮へはそこから臨時のバスに乗り換えなければならない。下車し、まずはここ夙川からスタートする事にした。人の集う近隣の小学校を教えてもらい、職員室で趣旨を説明すると、体育館横の渡り廊下の一角を使ってくださいと了承を得た。日曜日の小学校は、住民の方、消防・自衛隊の方、子供にお年寄りと人の往来でひっきりなしである。持参した大きめのケント紙に「証明写真 無料で撮ります」と大きくマジックで書き込み、壁の目立つところに貼り付け、機材関係を整えた。

若い営業マンのSくんと2方向に分かれ、大声で周辺の方達へと呼びかけ始めると何事かと数人の方たちが怪訝そうな表情で覗きに来られた。趣旨を説明すると、そういう事ならばとそのうちの一人の方が笑顔でカメラの前に立ってくださり、そこから次々と希望者の方が集まり始めた。割愛するが、写真をお渡しした人たち全てには、それぞれ哀しみと絶望と希望と連帯の物語があり、それはいまだに忘れる事ができない。

撮影の途中、体育館入り口のベンチからじっとこちらを見つめる視線が気になっていた。6、7才くらいだろうか、一人で佇む小さな女の子だった。あきらかにここでは異質な一角であるカメラの前の小さな人だかりに興味があるのか、その女の子はこちらをずうっと伺い続けていたのである。早めの昼食を摂ろうと職員室でご厚意のお湯をいただき、持参したカップヌードルを三脚の前で啜りはじめても、その女の子はその場から離れず、チラチラとこちらに視線を送り続けている。もしかして写真を撮ってもらいたいけど、恥ずかしくて近寄れないのかな。そう思い、予備のカップヌードルを携えて、3人は女の子の前へと歩み寄り、少しかがんで声を掛けてみた。

「カップヌードル余ってるし、一緒に食べへん?」

女の子は一瞬びくりと体を強張らせたが、その双眸ははっきりとこちらに向けられている。その瞬間、大の大人3人の胸は締め付けられた。子供にはあってはならない深い哀しみが、小さな黒い瞳全体を覆っている。この子の見てきたもの、感じてきたものを一瞬でもいいから和らげてあげられないだろうか。絞り出すような声で「写真撮ったげようか?」と続けるのが、我々の精一杯だった。目と目が合ったまま、しばらく沈黙が続いた。すると女の子はいきなり立ち上がって、きびすを返して走り去ってしまった。それから学校を去るまでの間、その女の子の姿を二度と見ることはなかった。

あれから20数年経つ。たまにカップヌードルにお湯を注ぐと、3人で歩いたあの凄惨で目を覆いたくなるような神戸の街並と、目の前から走り去った小さな女の子の黒い瞳を憶い出す。今から考えると、いきなり大の大人3人から声を掛けられて驚いたと同時に、同情されると辛い事が蘇るから、ああして走り出すしかなかったのかな、とも思う。倔(つよ)い子だったのだ。あの子は今、女性として一番輝きを放つ妙齢になっているはず。今日に至るまで色んなことがあっただろうし、勿論当時の哀しみについても忘れることはないだろう。長年の間、どのような気持ちで毎日を過ごしてきたのかは知る由もないが、麺が出来上がるまでの3分間、ひたすら彼女の幸せを願ってやまない。


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