キリンについて考え始めたら、進化論の否定に繋がってしまった
俺はキリンが大好きだ。
キリンと言ってもビールの話ではない。
ビールはモルツ。もしくは黒ビール。
早くも脱線しそうだから、
ビールの話はやめておく。
俺はキリンが大好きだ。
首が長くて。
まつ毛ふさふさで。
舌が変な色で長くて。
ぴょろぴょろぴょろーって出て。
キリン同士で喧嘩する時は
首を振り回して相手にぶつけて。
ずごーんって。
どごーんって。
もう好きすぎて好きすぎて。
家に大きなキリンのぬいぐるみもあるぐらいで。
動物園に行けば1時間ずっとキリンを見ていられる。
そういっても嘘じゃないレベルで好きだ。
あぁキリンの首にまたがりたいな。
キリンに乗ってどっか行きたいな。
ところでキリンの首はどうして長いんだろう。
生存競争の影響とはよく聞く話だ。
他の動物が低い所にある植物を
争いながら食べているから、
キリンは確実に食べ物にありつける保証がない。
ならば自分は高い所にある植物を食べよう。
うん。それはいい考えだ。
伸びろ、伸びろ、俺の首、伸びろ。
キリンの先祖がそんな風に望んだ結果、
キリンの子孫の首は長くなったとかなんとか。
最初は背伸び、いや首伸びして、
高い所にある植物を食べていたんだろう。
そんでそれを繰り返して繰り返して、
だんだんと首が長くなっていったとかなんとか。
たしかに因果応報というか、
納得できなくはない話である。
だが、本当にそうだろうか。
あのキリンの首は、あの身体は、
本当に望み続けて首伸びを続けた結果なのだろうか。
ただ望んで小さな努力を続けることで
あの首をゲットできたというのだろうか。
よくよく考えるとなんかあやしい。
あやしいというか
「望んでれば夢は叶うんだよ」的な
子供騙しに思えてきてしまった。
進化論を否定するわけではないが、
もし本当にサルから人間に進化したのであれば
どうして半分サル・半分人間みたいな
進化の途中の動物はいないのだろうか。
どこからがサルでどこからが人間なのか、
その境界線もあやふやではあるんだけど、
考えれば考えるほどに
本当に進化してきたのかなと思えてくる。
きっと進化じゃない。
サルは永遠にサルで、
人間は最初から人間だったんだ。
魚類から鳥類まで進化していくなんて
どう考えたっておかしい。
神様がいるかどうかは知らないし、
どうやって新種の動物が出てきたのかもわからない。
それを考えても考えてもわからないから、
ダーウィンは進化論で誤魔化したんだ。
俺には進化という考えが
「もう説明しようも考えようもないから、
そういうことにしておこう」的な逃げというか、
ご都合主義に思えて仕方がない。
で、なんだっけ?
キリン。
キリンも最初からキリンだったんじゃないかなと。
キリンに似た何か(小キリン)の
「大きくなりたい」って望みはあったかも知れないけど、
望みは望みでしかなくて結果には繋がらなかった。
そんで小キリンは淘汰されていった。
でも、そこに何らかのきっかけで
小キリンに似ている大キリンが出現した。
それが今のキリン。
そういうことじゃないかなと。
何の根拠もないし、
ダーウィンと似たり寄ったりの空想論でしかないけど。
それでもなんでも、
俺はキリンが大好きだ。
どんなきっかけでキリンが出現したのかなんて、
キリンには関係のない話であって、
俺にも関係のない話である。
ただ首が長いキリンが好きで憧れている。
それでいいじゃないか。
それ以外、俺にとって確かなことはない。