If I could go back
今年で社会人になって3年目を迎えた。
おかげさまで、大学生の頃に私の隣にいた黒い犬はどこかに行ってしまったみたい。
というよりも、存在に気づけなくなったという方が正しいのかもしれない。
世の中の多くの人が、私のこの変化を「よかったね」と形容することだろう。
私自身、よかったと思っている部分が全くない訳ではない。
でも私はあの頃の自分の方がよかったのではないかと思う。
誰かの思いに強く共感する時間や、想いをめぐらせる時間。
誰かの背中に刺さった矢を眺める時間。
頭の中にあるありきたりな言葉を、なんとかかんとか繋ぎ合わせて、自分の思いを誰かに伝える時間。
こんなものがあの頃の自分の支えになっていたように思う。
当時は当たり前と思っていたけれど、今はそれが尊いものだと強く感じるからこそ、戻りたいと思う。
何度願っても、いくらお金を出しても、あの頃の自分は帰ってこない。
そんな想像力の欠片もなくしてしまった自分に、また矢を向けてしまう。
相変わらず、自己肯定感は母親の腹の中に忘れてきたらしい。
あのね、誰かの背中に刺さった矢を抜いてあげることはできても、自分で向けた矢はずっと向いたままだし、そのまま刺さってしまったらずっと抜けないんだよ。
自分が苦しい時に気づいて欲しいくせに、相手の苦しい時にはその可能性に気づけなくなっている自分に腹が立って、これを書いたんだけどね。
環境のせいにするのは楽だけど、ずっとそれでも生きていけるけど、そんな奴にはなりたくない。
この葛藤は死ぬまで続くんだろうね。じゃあね。
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